しかし、日本軍が停戦協定に応じて張鼓峰から撤退(てったい)したのに対して、ソ連軍は協定を無視して張鼓峰を占領して陣地(じんち)を構築(こうちく)し、これを強引に国境線(こっきょうせん)としました。要するにソ連は我が国の善意(ぜんい)を裏切(うらぎ)ったのです。
こうしたソ連の強気の姿勢(しせい)の背景には、我が国が日華事変(にっかじへん)の泥沼化(どろぬまか)の影響(えいきょう)で満ソ・満蒙(まんもう)国境に大量の兵力を投入できないという事情がありました。このような歴史的な流れにも、当時の日本政府に潜(ひそ)んでいたコミンテルンによるスパイの暗躍(あんやく)ぶりがうかがえますね。
なお、張鼓峰事件において日本軍が自軍の4倍もの兵力を誇(ほこ)ったソ連軍を撃退したことや、事件の人的被害はソ連側の方が遥(はる)かに大きかったことなどが、旧ソ連の崩壊後(ほうかいご)に明らかとなっています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
この頃の日本の勢いは飛ぶ鳥を落とす勢いというか、破竹の勢いというか・・
大きな大国を少ない兵力で倒した武勇伝が日本の底力を
決して疑わない確信へと繋がって行ったのですね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり当時の我が国は無敵と言ってもいい状態でした。
しかし、それもこれも資源あってこその話。
この後物資不足に悩まされる我が国は少しずつ追い込まれていくのです。
この頃の日本の勢いは飛ぶ鳥を落とす勢いというか、破竹の勢いというか・・
大きな大国を少ない兵力で倒した武勇伝が日本の底力を
決して疑わない確信へと繋がって行ったのですね。
応援凸
しかし、それもこれも資源あってこその話。
この後物資不足に悩まされる我が国は少しずつ追い込まれていくのです。