長屋王の変の直後に、光明子は聖武天皇の皇后となりました。皇族以外の人間が皇后になったのは、我が国史上初めてのことでした。これ以降の彼女は「光明皇后」(こうみょうこうごう)と呼ばれることになります。
藤原四兄弟も同時に昇進し、再び藤原氏が政治の実権を握ることになりました。四兄弟は、武智麻呂(むちまろ)が南家(なんけ)、房前(ふささき)が北家(ほっけ)、宇合(うまかい)が式家(しきけ)、麻呂(まろ)が京家(きょうけ)のそれぞれの始祖となり、藤原氏の繁栄の基礎となりました。尚、阿倍仲麻呂を帰国させようとした遣唐大使の藤原清河(ふじわらのきよかわ)は、房前の子にあたります。
まさに我が世の春を迎えた藤原四兄弟でしたが、その繁栄は永くは続きませんでした。四兄弟には過酷な運命が待っていたのです。
737年、九州地方から発生した疫病(えきびょう)である天然痘(てんねんとう)が、平城京でも大流行しました。そして、藤原四兄弟も相次いで天然痘にかかり、何と全員がそろって病死してしまったのです。あまりの凶事、そしてあまりの偶然に、当時の朝廷では「長屋王のタタリだ」と恐怖におびえました。




いつも有難うございます。
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オバrev 長屋王一族を自殺に追い込んだ謀略は、
聖武天皇も光明皇后も知っていただろうし、
藤原4兄弟と全く同罪でしょう。
特に兄たち4人が亡くなった光明皇后は、気が気じゃなかったんじゃないでしょうか。
それでも生き延びている光明皇后に生命力の強さを感じます(^^;)
たたりと言えば、菅原道真を思い出しますが、長屋王のたたりの方が怖そうですね ガクガク(((n;‘Д‘))ηナンダカコワイワァ
オバrevさんへ
黒田裕樹 光明皇后はどうやらかなりの野心家だったようです。何といっても不比等の娘ですからね。しぶとく生き残った彼女は、慈善事業の伝説を残す一方で、○沢一郎並みの「フィクサー」ぶりを遺憾なく発揮します。詳しくは今後のブログで紹介しますね。
そんな彼女も、やはり長屋王のタタリは恐ろしかったようで、実はあの「大事業」もタタリ封じの一環だったようなんです。このあたりは明日にも紹介できると思います。
個人的には、菅原道真よりも長屋王のタタリの方がよっぽど影響力があったと思いますね。なぜなら…(今回はこればっかりでスミマセンが)いずれご紹介できる日が来るでしょう(^^ゞ
ケンシロウ こんにちは。
まだまだ残暑が厳しいですね。
体調の管理には気を付けて下され。
藤原四子政権という言葉だけ記憶にあります。
情けなくなってきますよ (´・ω・`)ショボーン
ケンシロウさんへ
黒田裕樹 ご無沙汰しております。お気遣いいただいて有難うございますm(_ _)m
いえいえ、これから記憶を呼び戻していただければ十分ですよ。
ここ数日の講座はかなり中味が濃いので(笑)、印象に残ると思いますし(^^ゞ
人を呪わば、穴二つ。
ぴーち こんばんは~!
そうですか。
自らの野望を推し進め、程なく頂点に立つという事は
その影には、何人の人の涙が流され、そして何人の犠牲が
払われた事か・・・。
心当たりを探したら、それこそ、あちらこちらに原因らしきものが思い当たって仕方が無かった程ではないでしょうか。。
人はその生命を失う瞬間に思っていた想念が一番強力な
エネルギーとして残るそうですから、ましてや、自害という事で、死にたくない思いと共に、恨む気持ちも有り余るほどだったに違いありませんね。藤原4兄弟の心にも
その思いは十分に伝わっていた事でしょう。
悪因悪果・・人を泣かせるような事をして来たものは、それと同等の報いを受けてしまうという教訓の様なお話、ありがとうございました^^
では、またお邪魔します!
(今頃、最高潮かしらw?)
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりで、藤原四兄弟の最期には「因果応報」の言葉がピッタリですね。
それだけに、生き残った者のうちスネに傷を持つ人々にとっては、いつ自分にたたるか気が気ではなかったでしょう。その恐怖が、明日以降紹介する「流れ」をつくり、ひとつの「結果」をもたらすのです。
最高潮だったかどうかは、明日のぴーちさんのブログに書かせていただきますね(^^♪
聖武天皇も光明皇后も知っていただろうし、
藤原4兄弟と全く同罪でしょう。
特に兄たち4人が亡くなった光明皇后は、気が気じゃなかったんじゃないでしょうか。
それでも生き延びている光明皇后に生命力の強さを感じます(^^;)
たたりと言えば、菅原道真を思い出しますが、長屋王のたたりの方が怖そうですね ガクガク(((n;‘Д‘))ηナンダカコワイワァ
そんな彼女も、やはり長屋王のタタリは恐ろしかったようで、実はあの「大事業」もタタリ封じの一環だったようなんです。このあたりは明日にも紹介できると思います。
個人的には、菅原道真よりも長屋王のタタリの方がよっぽど影響力があったと思いますね。なぜなら…(今回はこればっかりでスミマセンが)いずれご紹介できる日が来るでしょう(^^ゞ
まだまだ残暑が厳しいですね。
体調の管理には気を付けて下され。
藤原四子政権という言葉だけ記憶にあります。
情けなくなってきますよ (´・ω・`)ショボーン
いえいえ、これから記憶を呼び戻していただければ十分ですよ。
ここ数日の講座はかなり中味が濃いので(笑)、印象に残ると思いますし(^^ゞ
そうですか。
自らの野望を推し進め、程なく頂点に立つという事は
その影には、何人の人の涙が流され、そして何人の犠牲が
払われた事か・・・。
心当たりを探したら、それこそ、あちらこちらに原因らしきものが思い当たって仕方が無かった程ではないでしょうか。。
人はその生命を失う瞬間に思っていた想念が一番強力な
エネルギーとして残るそうですから、ましてや、自害という事で、死にたくない思いと共に、恨む気持ちも有り余るほどだったに違いありませんね。藤原4兄弟の心にも
その思いは十分に伝わっていた事でしょう。
悪因悪果・・人を泣かせるような事をして来たものは、それと同等の報いを受けてしまうという教訓の様なお話、ありがとうございました^^
では、またお邪魔します!
(今頃、最高潮かしらw?)
それだけに、生き残った者のうちスネに傷を持つ人々にとっては、いつ自分にたたるか気が気ではなかったでしょう。その恐怖が、明日以降紹介する「流れ」をつくり、ひとつの「結果」をもたらすのです。
最高潮だったかどうかは、明日のぴーちさんのブログに書かせていただきますね(^^♪