しかし、財政難に苦しんでした備中松山藩では兌換のための準備金にまで手を付けていたどころか、新たに大量の藩札を発行したことですっかり信用を無くし、偽札(にせさつ)まで出回る始末でした。
事態を憂慮した方谷は、3年間という期限を切って信用の無くなった旧藩札を回収し、すべて新しい藩札に切り替える決意をしました。当時は産業復興が進んで藩の資金が充実しつつあったとはいえ、兌換のための準備金を調達するのは大変な苦労を伴(ともな)いましたが、人間でいえば血液の循環(じゅんかん)にあたる紙幣(しへい)の流通を円滑(えんかつ)に進めることは、藩の再建に不可欠(ふかけつ)だったのです。
やがて期限の3年を迎えると、方谷は引き換えた大量の旧藩札を領内の河原に積み重ね、領民が見守る前で焼き捨てました。現代の観点からすればパフォーマンスとも思われかねない突飛(とっぴ)な行動でしたが、方谷の姿勢(しせい)に並々(なみなみ)ならぬ覚悟(かくご)を見た領民たちは新たに発行された藩札を信用して、やがて他国にまで流通するようになりました。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち おはようございます!
これまでの方谷氏の考え、行動を拝見していると
冷静沈着な方だったのかと思っておりましたが、
今日のお話を伺っていると、うちなる情熱を秘めた方だったのだと改めて感じました。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そうですよね。
内なる情熱がなければ、上っ面だけのパフォーマンスで終わっていたと思います。
方谷による激しい情熱は、講座の後半でもう一回出てきますね。
これまでの方谷氏の考え、行動を拝見していると
冷静沈着な方だったのかと思っておりましたが、
今日のお話を伺っていると、うちなる情熱を秘めた方だったのだと改めて感じました。
応援凸
内なる情熱がなければ、上っ面だけのパフォーマンスで終わっていたと思います。
方谷による激しい情熱は、講座の後半でもう一回出てきますね。