次に方谷は農作業の負担(ふたん)を軽減するために、良質な砂鉄を使った三本歯の「備中鍬(びっちゅうぐわ)」を新たに開発し、当時の我が国の人口の8割を占(し)めた農民に幅広(はばひろ)い人気を集めたほか、建築に欠かせない鉄釘(てつくぎ)もよく売れました。方谷はこれらの人気商品を新たに購入した大きな船で直接江戸まで運ぶことで経費を節減するとともに大量輸送を可能とし、さらなる売り上げ増につなげました。
また、方谷は農民の暮(く)らしを向上させるために柿(かき)や煙草(たばこ)などを栽培(さいばい)したほか、柚餅子(ゆべし)などのブランド品を新たに生み出し、これらも藩の特産として全国で売り上げを伸ばしていきました。
なお、方谷はこれらの産業振興に関する業務を撫育方(ぶいくがた、撫育とは人をいつくしみ育てること)と名付けた組織にまとめ上げ、流通を一本化したことで効率化も図(はか)っています。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち おはようございます!
きっと方谷氏の頭の中では、最初に完成図が
仕上がっていたからこそ、このような手際の良い采配が出来たのでしょうね!
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > きっと方谷氏の頭の中では、最初に完成図が
> 仕上がっていたからこそ、このような手際の良い采配が出来たのでしょうね!
私もそう思います。大坂商人たちを納得させるだけの計画書を用意していましたからね。
しっかりと計画を立てて、それを実行に移す手際の良さは素晴らしいと思います。
きっと方谷氏の頭の中では、最初に完成図が
仕上がっていたからこそ、このような手際の良い采配が出来たのでしょうね!
応援凸
> 仕上がっていたからこそ、このような手際の良い采配が出来たのでしょうね!
私もそう思います。大坂商人たちを納得させるだけの計画書を用意していましたからね。
しっかりと計画を立てて、それを実行に移す手際の良さは素晴らしいと思います。