勝静の熱意もあって、大抜擢に対する上級藩士の反発をよそに元締役と吟味役の兼任を引き受けた方谷でしたが、そんな彼の前に大きく立ちはだかったのが、天井(てんじょう)知らずに積み上がった藩の負債(ふさい)でした。
長年の粉飾決算(ふんしょくけっさん、会社が不正な意図をもって経営成績および財政状態を実際より過大または過小に表示するように人為的操作を加えた決算のこと)もあって、当時の備中松山藩の累積赤字(るいせきあかじ)はおよそ10万両(現代の金額で約600億円)に達する巨額(きょがく)であり、また藩の石高(こくだか)は名目(めいもく)の5万石(まんごく)に対して、実質は約19,000石の収穫(しゅうかく)しかなかったのです。これでは従来の農政を中心とした財政改革など出来ようはずがありません。
そこで、方谷は自(みずか)らが説(と)いた経済論たる「理財論(りざいろん)」や政治論たる「擬対策(ぎたいさく)」に基(もと)づき、従来の米本位経済にこだわらない大胆(だいたん)な手法で藩政改革を成し遂げようと決意しました。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち おはようございます!
大出世したのは何も秀吉だけでは
無く、余り表舞台ではその名前が轟かなくても
影の立役者としてこうして立身出世なさった方がいらっしゃるんですね!
その後の展開を楽しみにしています^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
方谷による立身出世が藩にどれだけの効果をもたらしたのかをぜひご注目くださいね。
大出世したのは何も秀吉だけでは
無く、余り表舞台ではその名前が轟かなくても
影の立役者としてこうして立身出世なさった方がいらっしゃるんですね!
その後の展開を楽しみにしています^^
応援凸
方谷による立身出世が藩にどれだけの効果をもたらしたのかをぜひご注目くださいね。