この文化は水稲耕作(すいとうこうさく)を行い、金属器(=青銅器や鉄器)が広まり、また縄文土器とは種類の異なる土器である弥生土器(やよいどき)が使用されました。
これらの文化を弥生文化といい、この時代(=3世紀頃まで)を弥生時代といいます。
尚、金属器や土器については別の機会に改めて学習することにします。
ところで、弥生文化の及んだ地域は、日本列島のほぼ全域に及んだ縄文文化とは異なり、東北地方から九州南部までにとどまりました。
なぜか分かりますか?
答えを解くカギは、縄文時代晩期から広がったとされる「アレ」です。ここにも書いてましたっけ?




いつも有難うございます。
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bunyan コメントありがとうございました。
連載文にくわしく書けない部分もあり、説明不足かもしれませんが、コメントの返事に少しだけ書き込みしましたのでお読みください。
弥生文化の内容は高校生以下でも理解できるよに工夫されてますね。
丁寧な気配りだと思います。
bunyan様
黒田裕樹 こちらこそ有難うございます。
貴ブログ拝見しました。歴史上の細かい出来事ひとつにしても謎だらけですね。
基本的に高校生レベルの内容のブログですが、いわゆる受験対策ではなく、将来の教養として身につけてほしい内容になるよう心がけているつもりです。
連載文にくわしく書けない部分もあり、説明不足かもしれませんが、コメントの返事に少しだけ書き込みしましたのでお読みください。
弥生文化の内容は高校生以下でも理解できるよに工夫されてますね。
丁寧な気配りだと思います。
貴ブログ拝見しました。歴史上の細かい出来事ひとつにしても謎だらけですね。
基本的に高校生レベルの内容のブログですが、いわゆる受験対策ではなく、将来の教養として身につけてほしい内容になるよう心がけているつもりです。