カギを握るのは、政治の実権を握った者が「藤原氏」か「反藤原氏」かということだったのです。
1.藤原不比等(ふじわらのふひと) [藤原氏]
飛鳥時代の末期から奈良時代の初期にかけては、皇族や中央の有力貴族が協力しあって、律令制度の確立を目指していましたが、その中で一歩抜け出した存在となったのが、藤原鎌足の息子である藤原不比等でした。
不比等は701年に大宝律令、718年には養老律令の編さんに携(たずさ)わり、朝廷からの厚い信任を受けました。また、文武天皇(もんむてんのう)の崩御後は元明天皇(げんめいてんのう)、次いで元明天皇の娘で文武天皇の妹でもあり、皇室の血を引く第44代の元正天皇(げんしょうてんのう)と女性天皇が続いたこともあり、彼が政治の実権を握るようになりました。
その力を背景に、不比等は娘の藤原宮子(ふじわらのみやこ)を文武天皇に嫁がせて、二人の間に産まれた首皇子(おびとのみこ)に、自分の娘で宮子の異母妹(いぼまい、母親のちがう妹のこと)にあたる藤原光明子(ふじわらのこうみょうし)を嫁がせることに成功し、皇室と密接な関係を築きました。




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
さすらい こんばんは。
ここでも天皇を利用して
皇室との関係を築くのですね。
政略結婚は現代でもありますから
歴史的には指して珍しくもないですが
我々庶民にとっては
やはりわからない感覚ですよね(笑)
うらやましい感覚だったり?(笑)
応援♪
悠 ほぉー
藤原不比等とかは聞いたことないですね
大宝律令の編さんに携わってたのに知りませんでした
大宝律令ってのはよく聞くんですけどね
でた~!
オバrev でましたね、藤原氏。
不比等から、天皇家との姻戚関係を結んで支配力を強めていったのか、なるほど~。
でも確か最高潮に達したのは、平安時代の藤原道長、頼通親子のときだと思いますから、その権力は随分長い間続くんですね。
さすらいさんへ
黒田裕樹 藤原氏の方法は、基本的に蘇我氏と変わりませんからね。政略結婚は、言うなればお互いの家の利害の一致で実現するもので、個人の感情が一切無視されますから、本人同士は幸せだったのかどうか…。
それでもやはりうらやましく思ってしまうのが人情なのでしょうか(笑)。
ぴーち こんばんは~^^
はっきり分かるだけでも6回・・という事は
はっきりしない部分を混ぜると相当な数になるんですね~(^^A
今日の記事を読ませていただくだけでも、頭の中が
混乱して来ました

なんだか、使えるものは何でも使えみたいな
精神が渦巻いている感じで、嫌な時代に感じます。
女性がある意味、政治の道具としてだけに使われているようで
憤りを感じますね~。(あくまで女性目線ですが)
たろー 奈良時代ってそんなに短かったんですねぇ
悠さんへ
黒田裕樹 藤原不比等は高校日本史で勉強しますからね。悠さんが本格的に勉強されればすぐに出てきますよ。
大宝律令については以前に当講座でも取り上げています。よろしければご参考にして下さい。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-145.html
オバrevさんへ
黒田裕樹 > でましたね、藤原氏。
> 不比等から、天皇家との姻戚関係を結んで支配力を強めていったのか、なるほど~。
はい、今回からついに藤原氏が登場です。皇室との姻戚関係を結んで支配力を強めるのって、実はあの蘇我氏とやり方が同じなんですよね。
> でも確か最高潮に達したのは、平安時代の藤原道長、頼通親子のときだと思いますから、その権力は随分長い間続くんですね。
仰るとおり、藤原氏は長い間政治の世界に君臨しますが、道長の時代に至るまでには様々な紆余曲折(うよきょくせつ)があったんです。この奈良時代だけでも…。詳しくはこれからの展開をご覧下さい。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 たった80年余りの奈良時代だけで、政治の主役が目まぐるしく変わっているんです。従ってややこしくなるのも当然ですので、なるべく分かりやすくなるように心掛けてはいますが、果たしてどうなるのでしょうか…?(^^ゞ
「使えるものは何でも使えみたいな精神」は言い得て妙ですね。それだけ厳しい時代でもあったわけなんです。女性の地位も政治の道具にされがちに見えますが、逆に言えば後継者は女性に産んでいただくしかないわけで、ある意味女性が次代の流れを決定づける意味もあったとも思います…って、やっぱり男性目線ですかね?
たろーさんへ
黒田裕樹 > 奈良時代ってそんなに短かったんですねぇ
平安京に遷都されるまでの80年余りですからね。全部8世紀の出来事というのも短く感じられます。でも、中味は非常に濃いんですよ(笑)。是非学習して下さいね!
紗那 あ、あれれー?
不比等の時から、既に天皇と密接な関係を?
平安時代からだと思ってましたー・・・・・・
でも80年で6回・・・・・・
すごい変わりようですね。
天皇にどれだけ厚い信を受けるのかがかぎを握っていたのでしょうか。だとしたら天皇さんの心変わりが早すぎると思いますノ
紗那さんへ
黒田裕樹 そうなんです。不比等の時代から摂関政治の基礎はできていたんですよ。ただ、この当時は政治の実権を握るのは同じとしても、自らが摂政や関白になるという発想がなかったんです。まだ皇后すら皇族に限るとされた時代ですからね…。
政治の実権が次々と替わったのは、天皇自身が心変わりをされたというよりも、実権を握った者の方に原因がある場合が多いです。不比等のように亡くなったというのもありますし、他には…続きは講座をご覧下さい(^_^)v
管理人のみ閲覧できます
-
ここでも天皇を利用して
皇室との関係を築くのですね。
政略結婚は現代でもありますから
歴史的には指して珍しくもないですが
我々庶民にとっては
やはりわからない感覚ですよね(笑)
うらやましい感覚だったり?(笑)
応援♪
藤原不比等とかは聞いたことないですね
大宝律令の編さんに携わってたのに知りませんでした
大宝律令ってのはよく聞くんですけどね
不比等から、天皇家との姻戚関係を結んで支配力を強めていったのか、なるほど~。
でも確か最高潮に達したのは、平安時代の藤原道長、頼通親子のときだと思いますから、その権力は随分長い間続くんですね。
それでもやはりうらやましく思ってしまうのが人情なのでしょうか(笑)。
はっきり分かるだけでも6回・・という事は
はっきりしない部分を混ぜると相当な数になるんですね~(^^A
今日の記事を読ませていただくだけでも、頭の中が
混乱して来ました

なんだか、使えるものは何でも使えみたいな
精神が渦巻いている感じで、嫌な時代に感じます。
女性がある意味、政治の道具としてだけに使われているようで
憤りを感じますね~。(あくまで女性目線ですが)
大宝律令については以前に当講座でも取り上げています。よろしければご参考にして下さい。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-145.html
> 不比等から、天皇家との姻戚関係を結んで支配力を強めていったのか、なるほど~。
はい、今回からついに藤原氏が登場です。皇室との姻戚関係を結んで支配力を強めるのって、実はあの蘇我氏とやり方が同じなんですよね。
> でも確か最高潮に達したのは、平安時代の藤原道長、頼通親子のときだと思いますから、その権力は随分長い間続くんですね。
仰るとおり、藤原氏は長い間政治の世界に君臨しますが、道長の時代に至るまでには様々な紆余曲折(うよきょくせつ)があったんです。この奈良時代だけでも…。詳しくはこれからの展開をご覧下さい。
「使えるものは何でも使えみたいな精神」は言い得て妙ですね。それだけ厳しい時代でもあったわけなんです。女性の地位も政治の道具にされがちに見えますが、逆に言えば後継者は女性に産んでいただくしかないわけで、ある意味女性が次代の流れを決定づける意味もあったとも思います…って、やっぱり男性目線ですかね?
平安京に遷都されるまでの80年余りですからね。全部8世紀の出来事というのも短く感じられます。でも、中味は非常に濃いんですよ(笑)。是非学習して下さいね!
不比等の時から、既に天皇と密接な関係を?
平安時代からだと思ってましたー・・・・・・
でも80年で6回・・・・・・
すごい変わりようですね。
天皇にどれだけ厚い信を受けるのかがかぎを握っていたのでしょうか。だとしたら天皇さんの心変わりが早すぎると思いますノ
政治の実権が次々と替わったのは、天皇自身が心変わりをされたというよりも、実権を握った者の方に原因がある場合が多いです。不比等のように亡くなったというのもありますし、他には…続きは講座をご覧下さい(^_^)v