しかし、これでも開墾はなかなか進みませんでした。確かに自分の代や三世の間は所有が認められますが、いずれは国に返還しなければならないと考えると、どうしても二の足を踏んでしまうからです。自分が開墾した土地は、自分や子孫のものとしたいという当然の願いでもありました。
そこで政府は、743年に墾田永年私財法(こんでんえいねんしざいほう)を施行し、身分に応じた一定の面積の開墾した田地を無期限に所有できることとしました。これによって登録された田地の数はようやく増加しましたが、私有地の拡大も同時に進み、公地公民制の根本を揺るがすという結果を招いてしまいました。
有力な貴族や東大寺(とうだいじ)などの大寺院は、地方の豪族らの協力のもとに広大な山林や原野の開墾を進め、私有地を拡大していきました。これを初期荘園(しょきしょうえん)といいます。




いつも有難うございます。
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悠 墾田永年私財法はしっかり覚えてます
中学で習いましたから
けど、その後どうなったかまでは知りませんでした
悠さんへ
黒田裕樹 > 墾田永年私財法はしっかり覚えてます
> 中学で習いましたから
> けど、その後どうなったかまでは知りませんでした
コメント有難うございます。
これも受験日本史の「悪弊」のひとつですね。言葉だけ覚えていても、その後の経緯を説明しないと、本当の理解はできないんですよ。力になれるかどうか分かりませんが、私の講座が参考になれば幸いです。
紗那 ここの流れは全部把握できてたので、よかったです。
まぁひとつ疑問点といえば、初期荘園と荘園の違い。だったのですけど、よく読みこむと意味が把握できました。
初期のほうは自分たちで開墾、平安時代のほうは寄進によるものというとらえかたでいいんでしょうか?採点お願いします。
紗那さんへ
黒田裕樹 採点ですね(^^ゞ
基本的には間違っていませんが、初期荘園には「自分たちで開墾」した自墾地系荘園(じこんちけいしょうえん)のほかに、他の開墾地を買い取るなどした既墾地系荘園(きこんちけいしょうえん)もあります。初期荘園の大きな特徴は、国に税(=租)を納めることが義務付けられてたことでしょうか。尚、自墾地系荘園と既墾地系荘園をあわせて墾田地系荘園(こんでんちえきしょうえん)ともいいます。
荘園は平安時代になると、国からの税金を納める必要のない不輸(ふゆ)や、国司の立ち入りを逃れる不入(ふにゅう)などの特権が有力貴族を中心に認められるようになり、他の田地の持ち主が貴族たちへこぞって寄進し、税金を逃れるようになりました。これを「寄進地系荘園(きしんちけいしょうえん)」といいます。
従って、初期荘園は「墾田地系荘園」、平安時代は「寄進地系荘園」とまず認識して、それぞれの意味と流れを理解していけばいいと思います。
尚、この講座でも荘園については機会を見て別に取り上げることになると思います。
ぴーち こんばんは!
墾田永年私財法という言葉は習った記憶は
ありましたが、その前後の経緯は全く、存じませんでした^^;
出会って良かった黒田さん^^
また一つ、閑散としている私の歴史カテゴリーに
新たな知恵の実を置く事が出来、嬉しく思います♪
赤いか、青いかは秘密です(笑)
たろー 墾田永年私財法はボクも結構しってます
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 墾田永年私財法という言葉は習った記憶は
> ありましたが、その前後の経緯は全く、存じませんでした^^;
別の方のコメ返にも書きましたが、言葉の一つ一つをぶつ切りにして覚えさせるから、言葉を知っていても意味が理解しにくくなっているんですよね。今日の講座の内容は流れに特に注意して書いたつもりです。
> 出会って良かった黒田さん^^
> また一つ、閑散としている私の歴史カテゴリーに
> 新たな知恵の実を置く事が出来、嬉しく思います♪
これはまた、過分なお言葉を有難うございます(^^♪
> 赤いか、青いかは秘密です(笑)
私の名前に合わせて黒かったりして…
たろーさんへ
黒田裕樹 > 墾田永年私財法はボクも結構しってます
それは何よりです(^^♪
今回の講座で知識をさらに深めて下さいね!(^o^)丿
黒田さんへ
紗那 ということは、租を納める・納めないという区別もあるということですね。 意外に奥が深いんですねー。。。
ちょっと、荘園編を待つことにします。僕も勉強しよっと。
紗那さんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。歴史は勉強すればするほど奥が深いんですが、うっかりすると「木を見て森を見ず」となってしまい、全体の流れを見失うこともありますから注意が必要です。
とはいえ、そこまで深刻に考えることもなく、まずは通史を楽しく勉強できればいいんですけどね。
荘園編はおそらく平安時代には取り上げることになると思いますよ。
私有地
kenちゃんマイド 墾田永年私財法は日本国開闢以来(律令国家体制)初めて私有地が認められた事でしょうか?極端に言えばそれまではすべて公地公民、土地も民も国家管理の下におかれて、個人の土地の財産は一切みとめられていなかったことですね。天平の一種の構造改革ですね。お上のする改革は今も昔も国民のためより税収をあげることですね。ずるすぎます。
kenちゃんマイドさんへ
黒田裕樹 三世一身法が期限付の私有でしたから、墾田永年私財法が仰るとおり事実上の私有財産を認めた初めての法律になりますね。
元々は聖徳太子が豪族の力を削ぐために理想とした公地公民制でしたが、現実に則した法体系に切り替えたわけですから、まさに構造改革ですね。
ただ、この改革が当時の国民のためになったのかどうかは正直言って分かりかねますね。「国民のための政治」は、いつの世も難しいものです。
中学で習いましたから
けど、その後どうなったかまでは知りませんでした
> 中学で習いましたから
> けど、その後どうなったかまでは知りませんでした
コメント有難うございます。
これも受験日本史の「悪弊」のひとつですね。言葉だけ覚えていても、その後の経緯を説明しないと、本当の理解はできないんですよ。力になれるかどうか分かりませんが、私の講座が参考になれば幸いです。
まぁひとつ疑問点といえば、初期荘園と荘園の違い。だったのですけど、よく読みこむと意味が把握できました。
初期のほうは自分たちで開墾、平安時代のほうは寄進によるものというとらえかたでいいんでしょうか?採点お願いします。
基本的には間違っていませんが、初期荘園には「自分たちで開墾」した自墾地系荘園(じこんちけいしょうえん)のほかに、他の開墾地を買い取るなどした既墾地系荘園(きこんちけいしょうえん)もあります。初期荘園の大きな特徴は、国に税(=租)を納めることが義務付けられてたことでしょうか。尚、自墾地系荘園と既墾地系荘園をあわせて墾田地系荘園(こんでんちえきしょうえん)ともいいます。
荘園は平安時代になると、国からの税金を納める必要のない不輸(ふゆ)や、国司の立ち入りを逃れる不入(ふにゅう)などの特権が有力貴族を中心に認められるようになり、他の田地の持ち主が貴族たちへこぞって寄進し、税金を逃れるようになりました。これを「寄進地系荘園(きしんちけいしょうえん)」といいます。
従って、初期荘園は「墾田地系荘園」、平安時代は「寄進地系荘園」とまず認識して、それぞれの意味と流れを理解していけばいいと思います。
尚、この講座でも荘園については機会を見て別に取り上げることになると思います。
墾田永年私財法という言葉は習った記憶は
ありましたが、その前後の経緯は全く、存じませんでした^^;
出会って良かった黒田さん^^
また一つ、閑散としている私の歴史カテゴリーに
新たな知恵の実を置く事が出来、嬉しく思います♪
赤いか、青いかは秘密です(笑)
> ありましたが、その前後の経緯は全く、存じませんでした^^;
別の方のコメ返にも書きましたが、言葉の一つ一つをぶつ切りにして覚えさせるから、言葉を知っていても意味が理解しにくくなっているんですよね。今日の講座の内容は流れに特に注意して書いたつもりです。
> 出会って良かった黒田さん^^
> また一つ、閑散としている私の歴史カテゴリーに
> 新たな知恵の実を置く事が出来、嬉しく思います♪
これはまた、過分なお言葉を有難うございます(^^♪
> 赤いか、青いかは秘密です(笑)
私の名前に合わせて黒かったりして…
それは何よりです(^^♪
今回の講座で知識をさらに深めて下さいね!(^o^)丿
ちょっと、荘園編を待つことにします。僕も勉強しよっと。
とはいえ、そこまで深刻に考えることもなく、まずは通史を楽しく勉強できればいいんですけどね。
荘園編はおそらく平安時代には取り上げることになると思いますよ。
元々は聖徳太子が豪族の力を削ぐために理想とした公地公民制でしたが、現実に則した法体系に切り替えたわけですから、まさに構造改革ですね。
ただ、この改革が当時の国民のためになったのかどうかは正直言って分かりかねますね。「国民のための政治」は、いつの世も難しいものです。