彼らは我が国が行きづまった原因が財閥や政党政治の腐敗(ふはい)ぶりにあると断じて、これらを打倒して軍部を中心とする強力な内閣を誕生させ、内外政策の大転換を図(はか)ろうと考えましたが、それは同時に国家社会主義の実現のために自由主義経済を攻撃(こうげき)する生贄(いけにえ)として財界首脳(しゅのう)や政治家などを選び、彼らに「血の粛清(しゅくせい)」をすることを意味していました。
昭和6(1931)年に入ると、陸軍の幕僚将校(ばくりょうしょうこう、司令部に直属し参謀事務に関与する将校のこと)である橋本欣五郎(はしもときんごろう)を指導者として、また陸軍の中堅将校(ちゅうけんしょうこう)を構成員とした政治結社の桜会(さくらかい)が中心となり、民間の思想家である大川周明(おおかわしゅうめい)らも参加して軍部内閣樹立のクーデターを2度も計画しましたが、いずれも事前に発覚して失敗に終わりました。
二つの未遂(みすい)事件は起きた時期からそれぞれ三月事件(さんがつじけん)・十月事件(じゅうがつじけん)と呼ばれていますが、これらの行動によって青年将校や民間団体が大きな刺激(しげき)を受け、それぞれが独自(どくじ)の運動を展開していくことになるのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんにちは!
人間、ある程度懐に余裕がある時は、焦りも怒りも危機感さえも感じる事無く、心に余裕すら生まれて来るものですが、いざ、余裕が無くなって苦しくなると、危機感が募り、果ては暴動や略奪などの行動を起こしてまでも、自分の身を守ろうとするものですね。
弱腰=それまで真剣に挑まなくても良いじゃないかと言う考え方に及んぶという事は、この当時の政治を司る政治家サン達は、懐がよほど暖かかったのでしょうね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 ぴーちさんのようなお考えがむしろ自然であるような気もします。
実際の政治家は金銭的に余裕があったかどうかは分かりませんが、そのような印象を持たせたこと自体がやはり失政であったと言わざるを得ませんし、また当時のマスコミの報道ぶりも注目すべきかと思われます。
人間、ある程度懐に余裕がある時は、焦りも怒りも危機感さえも感じる事無く、心に余裕すら生まれて来るものですが、いざ、余裕が無くなって苦しくなると、危機感が募り、果ては暴動や略奪などの行動を起こしてまでも、自分の身を守ろうとするものですね。
弱腰=それまで真剣に挑まなくても良いじゃないかと言う考え方に及んぶという事は、この当時の政治を司る政治家サン達は、懐がよほど暖かかったのでしょうね。
応援凸
実際の政治家は金銭的に余裕があったかどうかは分かりませんが、そのような印象を持たせたこと自体がやはり失政であったと言わざるを得ませんし、また当時のマスコミの報道ぶりも注目すべきかと思われます。