717年に吉備真備らが入唐(にっとう)した際に同行していた阿倍仲麻呂(あべのなかまろ)は、唐の超難関の試験である科挙(かきょ)に合格し、後に唐の高い役職を歴任しました。詩人の李白(りはく)と親交を持ち、また唐の皇帝の玄宗(げんそう)の厚い信任を得ましたが、才能が高かったゆえに、玄宗がなかなか仲麻呂の帰国を許しませんでした。
753年に遣唐大使(けんとうたいし)の藤原清河(ふじわらのきよかわ)の要請によって、ようやく仲麻呂の帰国が許されますが、清河と共に彼を乗せた船は無情にも暴風雨に難破して、安南(あんなん、今のベトナム)に漂着しました。命からがら長安まで戻った仲麻呂は、その後もついに帰国することなく、770年に唐で73歳の生涯を閉じました。
そんな彼が残した望郷の和歌は、百人一首にも取り上げられ、長く我が国で知られています。
「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山に いでし月かも」
ところで、阿倍仲麻呂が帰国しようとして失敗に終わった際に、別の船に乗っていたため、無事に我が国にたどり着いた唐の高僧がいました。その名を鑑真(がんじん)といいます。




いつも有難うございます。
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オバrev 科挙って、名前だけで難しそうなイメージです(^^;)
阿倍仲麻呂は、相当な秀才だったんだろうな。
よく出てくる名前だし、日本で活躍した人かと思えば、唐で一生を終えたんですね。
唐で見る月を見て、春日の三笠山を思い出してたんでしょうね。
アキ 「天の原~」の歌、知ってますー(って、アホなコメント)
阿倍仲麻呂のそんな背景があっての歌だったんですね。
歴史のおもしろさって大人になってから気付き、何で学生時代にもっと勉強しておかなかったんだろう と悔いています。
こんなに楽しい「勉強」があったなんて。
いつも訪問&応援ありがとうございます。
コメントできない時でも必ず応援させて頂いておりますのでー(*^_^*)
管理人のみ閲覧できます
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ついに鑑真ですね
kenちゃんマイド 鑑真の何回も渡航に失敗したと聞いてます。当時は朝鮮経由の渡航ですか?それともダイレクトで東シナ海をわたったんでしょうか?
たろー 科挙はこないだ学校でならいましたよ!
ランクリしときました!
ボクのブログにきてください!
初コメントです
つれづれ いつもご覧いただきましてありがとうございます。
歴史っていろんな見方があるんですね。
勉強になります。
また来ます。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 科挙って、名前だけで難しそうなイメージです(^^;)
> 阿倍仲麻呂は、相当な秀才だったんだろうな。
ある意味東大入試や司法試験よりも難しいとされる中国の最難関の試験ですからね。よく合格できたものです。仰るとおり、仲麻呂は相当の切れ者だったようですが、それが仇になって帰国できなくなってしまうのですから皮肉ですよね。
> よく出てくる名前だし、日本で活躍した人かと思えば、唐で一生を終えたんですね。
本来は我が国で活躍が期待された留学生ですからね。彼が帰国できなかったのは、我が国にとって大きな損失だといえますが、かといって帰国したらしたで天寿を全うできたかどうか…。このあたりはいずれ後に紹介することになるでしょう。
> 唐で見る月を見て、春日の三笠山を思い出してたんでしょうね。
仰る説と、帰国を前に胸躍る仲麻呂の気持ち(もうすぐ故郷で同じ月が見られる)を表している、とも言われていますね。
アキさんへ
黒田裕樹 今回紹介した和歌は百人一首で有名ですが、一つ一つに色々な背景があるものですね。
学校で勉強する歴史というものは、受験対策のために「ただ覚える」だかの無味乾燥なものであったり、教える先生の資質に左右される(例えば、特定の思想を押し付けられる)ことが多かったりするので、とっつきにくいんですよね。しっかりと学べばこんなに面白いのに。
でも、社会人になってからでも決して遅くはありません。是非分かりやすい歴史を学んでいただき、今後のお役に立てて下されば幸いと思っております。
私も欠かさすクリックはさせていただいているものの、いわゆる「読み逃げ」状態が多くて申し訳ないです。今後もお互いにブログを盛り上げていければいいですね!
kenちゃんマイドさんへ
黒田裕樹 > 鑑真の何回も渡航に失敗したと聞いてます。当時は朝鮮経由の渡航ですか?それともダイレクトで東シナ海をわたったんでしょうか?
鑑真が渡航に挑戦した頃は、後者の「ダイレクトで東シナ海をわたった」のが通常でした。朝鮮半島経由の航路は、白村江の戦いによって新羅との関係が悪化してからは使えなかったんです。8~9世紀の時期に長期間も陸地に寄らずに航海を続ける訳ですから、当時の苦労がうかがえますね。
たろーさんへ
黒田裕樹 > 科挙はこないだ学校でならいましたよ!
世界史でしょうか。中国の有名な試験ですからね。学習のお役に立てればこちらも嬉しいです(^_^)v
> ランクリしときました!
> ボクのブログにきてください!
有難うございます。是非訪問しますね(^^♪
つれづれさんへ
黒田裕樹 こちらこそご訪問&コメント有難うございます!
歴史には、ひとつの固定観念にとらわれない自由な見方があってしかるべきではとないかと思い、このブログを続けております。今後とも宜しくお願いします。
管理人のみ閲覧できます
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阿倍仲麻呂は、相当な秀才だったんだろうな。
よく出てくる名前だし、日本で活躍した人かと思えば、唐で一生を終えたんですね。
唐で見る月を見て、春日の三笠山を思い出してたんでしょうね。
阿倍仲麻呂のそんな背景があっての歌だったんですね。
歴史のおもしろさって大人になってから気付き、何で学生時代にもっと勉強しておかなかったんだろう と悔いています。
こんなに楽しい「勉強」があったなんて。
いつも訪問&応援ありがとうございます。
コメントできない時でも必ず応援させて頂いておりますのでー(*^_^*)
ランクリしときました!
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歴史っていろんな見方があるんですね。
勉強になります。
また来ます。
> 阿倍仲麻呂は、相当な秀才だったんだろうな。
ある意味東大入試や司法試験よりも難しいとされる中国の最難関の試験ですからね。よく合格できたものです。仰るとおり、仲麻呂は相当の切れ者だったようですが、それが仇になって帰国できなくなってしまうのですから皮肉ですよね。
> よく出てくる名前だし、日本で活躍した人かと思えば、唐で一生を終えたんですね。
本来は我が国で活躍が期待された留学生ですからね。彼が帰国できなかったのは、我が国にとって大きな損失だといえますが、かといって帰国したらしたで天寿を全うできたかどうか…。このあたりはいずれ後に紹介することになるでしょう。
> 唐で見る月を見て、春日の三笠山を思い出してたんでしょうね。
仰る説と、帰国を前に胸躍る仲麻呂の気持ち(もうすぐ故郷で同じ月が見られる)を表している、とも言われていますね。
学校で勉強する歴史というものは、受験対策のために「ただ覚える」だかの無味乾燥なものであったり、教える先生の資質に左右される(例えば、特定の思想を押し付けられる)ことが多かったりするので、とっつきにくいんですよね。しっかりと学べばこんなに面白いのに。
でも、社会人になってからでも決して遅くはありません。是非分かりやすい歴史を学んでいただき、今後のお役に立てて下されば幸いと思っております。
私も欠かさすクリックはさせていただいているものの、いわゆる「読み逃げ」状態が多くて申し訳ないです。今後もお互いにブログを盛り上げていければいいですね!
鑑真が渡航に挑戦した頃は、後者の「ダイレクトで東シナ海をわたった」のが通常でした。朝鮮半島経由の航路は、白村江の戦いによって新羅との関係が悪化してからは使えなかったんです。8~9世紀の時期に長期間も陸地に寄らずに航海を続ける訳ですから、当時の苦労がうかがえますね。
世界史でしょうか。中国の有名な試験ですからね。学習のお役に立てればこちらも嬉しいです(^_^)v
> ランクリしときました!
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有難うございます。是非訪問しますね(^^♪
歴史には、ひとつの固定観念にとらわれない自由な見方があってしかるべきではとないかと思い、このブログを続けております。今後とも宜しくお願いします。