1.「市民」をその自治体に居住する住民以外にも拡大して定義している
2.1.で拡大された「市民」に政治参加の権利を認め、また住民投票を発議(はつぎ)することができるなど住民投票制度を重視している
3.「市民委員会」のような直接民主主義的な要素が盛り込まれており、委員会の決定事項に対して首長や議会に尊重義務を負わせている
4.自治基本条例を他の条例に優越(ゆうえつ)する「自治体の最高規範(さいこうきはん)」としている
まず1.ですが、多くの自治基本条例では「市民」を以下のように定義しています。
「市内に居住する者や市内に勤務、通学する者並びに事業所を置く事業者その他の団体をいう」。
すなわち、自治基本条例で定められた「市民」とはいわゆる住民だけでなく、他の市町村から通勤あるいは通学する人々や、その地に存在する全国的な組織や団体の関係者も「市民」になれることを意味しており、さらには国籍条項が存在しないことから外国人も「市民」に含むことが可能になるのです。
こうした「市民」の定義は法律の規定のみならず、多くの国民の一般常識と余(あま)りにもかけ離(はな)れてはいないでしょうか。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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晴雨堂ミカエル 自治体に関わる全ての「住民」には自治体運営に参画する権利がある「市民」と定義するのが特徴ですね。
私は非常識とは思わず、理念としては素晴らしいと思っています。
ただ、住民自治会の役員経験者としては眉唾です。
自治会はいま岐路にあります。勤務形態の多様化(人が集まらん)、大阪府の方針による外国人の大量受入(外国人の立場を楯に自治会に協力しない)、過度の個人情報保護(何か問題が発生しても自治会の連絡先が判らない)などなど、形骸化しながらも維持してきた自治会の機能はますます不全に陥りつつあります。
そもそも、問題の条例がまともに運用される社会であれば、自治会存続が危ぶまれる状況にはならず、充実した運営になるはず。
住民自治会が充実していたら、問題の条例そのものも存在の必要はありません。
私は住民自治の現場の立場として疑念を持っています。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 なるほど、そういう見方もあるものなのですね。
有難うございました。
ぴーち おはようございます!
確かにこの条例に限らず、そこの住所を置かずに
通勤で通っている者でも参加出来るという内容で発令されている事って多いものですよね。
外国人問題の件ですが、
先日、ボストン・マラソンで多数の犠牲者を出した事件がありましたが、爆弾を製造し、配置した人間は、もしかしたら外国人であり、留学と称して一般人になりすまして、その機会を伺っていた人物かも知れない(あるいは米国人独自の犯行であるという見方もされてはいますが)
と報道されていましたが、そういう事件があると、まず最初に外国人の仕業かも知れないと
疑うのも嫌ですし、また疑われて白い目で見られる方も嫌だと思うんです。
そういう疑念を払拭する意味で、確かに外国人を積極的に参加させるという動きには、慎重になるべきかなとも思いますね。
日本は何処の国からも恨みを買うような事はしていないはずという考えであれば、それは危険ですよね。同盟国が敵視されれば、自ずとそれに付随している国も憎まれます。坊主憎けりゃ・袈裟までじゃないですが、日本もよくよく警戒すべき時が来ていると思います。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
経済的な理由だけで外国人を受け入れ続けることで、国全体の安全保障に問題が生ずれば本末転倒です。
私は非常識とは思わず、理念としては素晴らしいと思っています。
ただ、住民自治会の役員経験者としては眉唾です。
自治会はいま岐路にあります。勤務形態の多様化(人が集まらん)、大阪府の方針による外国人の大量受入(外国人の立場を楯に自治会に協力しない)、過度の個人情報保護(何か問題が発生しても自治会の連絡先が判らない)などなど、形骸化しながらも維持してきた自治会の機能はますます不全に陥りつつあります。
そもそも、問題の条例がまともに運用される社会であれば、自治会存続が危ぶまれる状況にはならず、充実した運営になるはず。
住民自治会が充実していたら、問題の条例そのものも存在の必要はありません。
私は住民自治の現場の立場として疑念を持っています。
有難うございました。
確かにこの条例に限らず、そこの住所を置かずに
通勤で通っている者でも参加出来るという内容で発令されている事って多いものですよね。
外国人問題の件ですが、
先日、ボストン・マラソンで多数の犠牲者を出した事件がありましたが、爆弾を製造し、配置した人間は、もしかしたら外国人であり、留学と称して一般人になりすまして、その機会を伺っていた人物かも知れない(あるいは米国人独自の犯行であるという見方もされてはいますが)
と報道されていましたが、そういう事件があると、まず最初に外国人の仕業かも知れないと
疑うのも嫌ですし、また疑われて白い目で見られる方も嫌だと思うんです。
そういう疑念を払拭する意味で、確かに外国人を積極的に参加させるという動きには、慎重になるべきかなとも思いますね。
日本は何処の国からも恨みを買うような事はしていないはずという考えであれば、それは危険ですよね。同盟国が敵視されれば、自ずとそれに付随している国も憎まれます。坊主憎けりゃ・袈裟までじゃないですが、日本もよくよく警戒すべき時が来ていると思います。
応援凸
経済的な理由だけで外国人を受け入れ続けることで、国全体の安全保障に問題が生ずれば本末転倒です。