また、金解禁の際に問題となったのが円とドルとの交換比率(こうかんひりつ)でした。当時の為替相場(かわせそうば)が100円=44ドル前後(1ドル=2.300円前後)であった一方で、金の輸出入を禁止する前は「1ドル=2.005円」でした。もし現在の相場を基準とした新平価(しんへいか、平価とは「外貨と比べての価値」のこと)で金解禁を行えば円安となり、日本製品の輸出に有利となります。
しかし、浜口内閣は新平価での金解禁を主張した国内の反対の声を押し切る形で、旧平価である「金2分=1円=0.49875ドル(1ドル=2.005円)」での交換によって昭和5(1930)年1月11日に金解禁を断行(だんこう)しました。これでは円高となって輸出に不利となりますが、円の価値を下げて解禁に踏(ふ)み切れば国としてのメンツが立たないのと、国内の企業をあえて逆境の中に放り出すことによって合理化と体質改善を行わせ、結果として国際競争力を強化させるという狙(ねら)いがあったとされています。
ところが、浜口内閣や井上蔵相によるこうした目論見(もくろみ)は完全に裏目(うらめ)となってしまったのです。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





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ぴーち こんにちは!
なかなか理論上通りに物事は進まないものですね(^^ゞ
政策自体はいい方法だとしても、その時の世界情勢などをしっかりと見極めていかなければ、机上の空論で終わってしまうという事なのでしょうね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
生き馬の目を抜くほど厳しい世界経済の中で、机上の空論としか思えないような内容で政策を考えればどうなるのか。
金解禁による悲劇は様々な波紋を呼ぶことになります。
経済政策の難しさ
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
金融政策というのは、絶対的な答えがなく
一寸先は、真っ暗闇です。
現代のアメリカでえ、金融政策だけでは
うまく、いっていません。
(リーマンショック)
金融工学の発達した現在でさえも、そうなのですから、当時は、もっと、大変だったのでしょうね。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、相当な難しさです。
だからこそこうした「失敗の教訓」をもっと学ばないといけませんね。
なかなか理論上通りに物事は進まないものですね(^^ゞ
政策自体はいい方法だとしても、その時の世界情勢などをしっかりと見極めていかなければ、机上の空論で終わってしまうという事なのでしょうね。
応援凸
生き馬の目を抜くほど厳しい世界経済の中で、机上の空論としか思えないような内容で政策を考えればどうなるのか。
金解禁による悲劇は様々な波紋を呼ぶことになります。
こんばんは
青田です。
金融政策というのは、絶対的な答えがなく
一寸先は、真っ暗闇です。
現代のアメリカでえ、金融政策だけでは
うまく、いっていません。
(リーマンショック)
金融工学の発達した現在でさえも、そうなのですから、当時は、もっと、大変だったのでしょうね。
だからこそこうした「失敗の教訓」をもっと学ばないといけませんね。