振り返れば義経の人生は、壇ノ浦の戦いで平氏を滅亡させるまでは幸運の連続だったのですが、平氏が滅亡した途端に、まるで手のひらを返したようにツキに見放されてしまいました。
精鋭の大半を失った義経に残された道は、わずかの手勢を率いて奥州の藤原秀衡を頼ることしかありませんでした。尚、この逃亡の際に、北陸の安宅(あたか)の関における「勧進帳」(かんじんちょう)の伝説が残されており、現代でも歌舞伎を通じて有名になっています。
義経一行は何とか秀衡のところまでたどり着くことができました。秀衡は義経の戦術の巧みさを、来るべき頼朝との戦いの切り札にしようと考え、義経を手厚く保護しましたが、一年も経たないうちに秀衡は病死してしまいました。これも義経にとっては大きな不運だったのです。
秀衡の後を継いだ藤原泰衡(ふじわらのやすひら)は父ほどの器量を持っておらず、頼朝からの「義経を殺せば藤原氏の安泰は保証する」という甘い誘いに乗ってしまい、1189年に義経の住んでいた館(やかた)を急襲しました。義経主従は奮戦しましたが、多勢に無勢ではどうしようもなく、ついに義経は妻子とともに自害して果てました。わずか31歳の若さでした。
なお、義経の最期の際に弁慶が義経をかばい、屋外で体中に矢を浴びて、立ったまま死んだとされる「立往生」(たちおうじょう)の話が伝説として残されています。また、義経を自ら殺したことによって切り札を失った泰衡は、結局この後に頼朝によって倒され、約100年続いた奥州藤原氏は滅亡してしまいました。




いつも有難うございます。
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海豚 勧進帳、2年の時の音楽でちょっとだけ見ました!!
懐かしいです~~。
何て言ってるのかよく聞き取れなかった記憶がありますが。。。
智里 可哀想な最後です。
この時に藤原家も義経を守っていたら、頼朝は手を出せなかったでしょうね。
この時に義経は逃げのびて、北海道に行った話やモンゴルに行った話が有りますけど、事実はどうなんでしょうね?
ホントの話だったら面白いと思いません?
こんばんは
スカイラインV35 「幸運の連続~ツキに見放され」ですか。天才といえども、人智を超えた何か逆らえない運命みたいなものがあるんですかねぇ~。
何かしんみりしてしまいますね。。。
marihime 黒田さんこんばんは☆
いつも訪問&コメントありがとうございます。
骨肉の争いは、どうも源氏の本質のように思えます。
足利も最後は尊氏、直義兄弟の争いになり、結局弟直義が殺されていますよね。
力量のある方が殺されているのも同じで、ともに側近の告げ口で大事な一族をなくしてしまうことになる。
(頼朝=梶原景時、尊氏=高師直)
歴史には不可思議なことが多いのではと思います。
海豚さんへ
黒田裕樹 勧進帳を見たことがあるんですか!
いかにも日本人が好みそうな「お涙頂戴」のストーリーなんですが、残念ながら史実の裏づけが見られない「伝説」なんですよね…。
歌舞伎ですから、セリフのしゃべり方も独特ですし、聞き取りにくかったのは良く分かります(^^ゞ
智里さんへ
黒田裕樹 > 可哀想な最後です。
> この時に藤原家も義経を守っていたら、頼朝は手を出せなかったでしょうね。
そのとおりです。義経の戦術があれば、頼朝は奥州藤原氏を倒すことはできなかった可能性がありますね。そうなると我が国の歴史も相当変わったかもしれません。
> この時に義経は逃げのびて、北海道に行った話やモンゴルに行った話が有りますけど、事実はどうなんでしょうね?
> ホントの話だったら面白いと思いません?
この件については、明朝の最後の講座で見解を述べたいと思いますので、いましばらくお待ち下さい。
スカイラインV35さんへ
黒田裕樹 > 「幸運の連続~ツキに見放され」ですか。天才といえども、人智を超えた何か逆らえない運命みたいなものがあるんですかねぇ~。
> 何かしんみりしてしまいますね。。。
義経の一生をたどると、まさに仰るとおりかと思います。自業自得の一面があるとはいえ、誰かフォローしてあげられなかったのかと思うと、確かに切なくなります。
marihimeさんへ
黒田裕樹 こちらこそ有難うございます!
権力を握った場合は、仰るとおり「骨肉の争い」がつきませんね。
血統は怪しいですが(笑)、徳川家も同じように家光VS忠長の後継者争いが見られますし。
ぴーち こんばんは!
まさしく事実は小説よりも奇なり。。
義経は、波乱万丈な人生だったんですね~。
しかも、奥州で自害を果たしてしまったというのが
事実なんですね。。
それが事実だとすると、北海道や、モンゴルの話など
まるきりのでっち上げ話ですよね。
例えば、アメリカが初めて月面に着陸した!という
映像の中で、アメリカの旗が無風状態の宇宙で
どうして、はためいていたのか・・とか、事実だと
思っていた事が実はねつ造では無かったのか・・という
噂も出ていますが、
そう思うと、義経も、もしかしたら。。
なんて、またまた、しつこく拘るぴーちでした^^;
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 いえいえ、仰る気持ちは良く分かりますよ(^^♪
日本人としてはむしろ自然な感情だと思いますし。
その辺りも含めて、明日朝の最後の講座で解説したいと思いますので、またご覧になって下さいね。
応援有難うございます!
さすらい こんばんは。
なるほど義経だけではなく
約100年続いた奥州藤原氏も滅亡ですか。
えらいとばっちりだったのでしょうか(笑)
源家の繁栄は後に
「しずか」というスターを生むことになりますから(笑)
応援♪
えめる 義経って、ヒーローとしてのイメージしかなかったのですが、
そうか。
時代を動かす人物になるには、戦略が重要な要素なんですね。
計画と実践。どちらを欠いても、物事は上手く進まない。
勉強させていただきましたー。
戦略のセの字も持ち合わせていない私です、とほほ。
いつもありがと。
さすらいさんへ
黒田裕樹 > なるほど義経だけではなく
> 約100年続いた奥州藤原氏も滅亡ですか。
> えらいとばっちりだったのでしょうか(笑)
とばっちりの面もありますし、泰衡の優柔不断による自業自得の一面もありますね。トップの判断で組織が崩壊しかねないのはいつの世も同じです。
> 源家の繁栄は後に
> 「しずか」というスターを生むことになりますから(笑)
そして「の○太」と結ばれてハッピーエンド(?)、というわけですね(笑)。
応援有難うございます!
えめるさんへ
黒田裕樹 > 義経って、ヒーローとしてのイメージしかなかったのですが、
> そうか。
> 時代を動かす人物になるには、戦略が重要な要素なんですね。
そうなんです。でもどんなに巧妙な戦略を立てても、机上の空論で終わっては意味がありません。そこで義経の登場となったわけです。
> 計画と実践。どちらを欠いても、物事は上手く進まない。
> 勉強させていただきましたー。
> 戦略のセの字も持ち合わせていない私です、とほほ。
> いつもありがと。
こちらこそ、いつも有難うございます。
私は両方持っていないような…(^^ゞ
こんばんは
こぶた はじめまして!
読みやすくて面白くてどんどん読み進んでしまいました!高校の授業もこんなふうだったらよかったのに^^;
義経はよかれとおもったことが、兄にとっては不都合だったから追放されちゃうんじゃ、あんまり可哀想な気がしますが、そこにドラマがあり、後世に残ってるんですね。
平泉というと「兵どもが夢の跡」が浮かびます。芭蕉さん、というか日本人の美学を体現してるんだなあ、とおもいます
また伺います。続き楽しみです♪
こぶたさんへ
黒田裕樹 ご訪問&コメント有難うございます!
> 読みやすくて面白くてどんどん読み進んでしまいました!高校の授業もこんなふうだったらよかったのに^^;
(元職ですが)教師として最高のお褒めの言葉、光栄かつ恐縮です。
> 義経はよかれとおもったことが、兄にとっては不都合だったから追放されちゃうんじゃ、あんまり可哀想な気がしますが、そこにドラマがあり、後世に残ってるんですね。
そうですね。義経本人にとってはたまったものではなかったでしょうけど、それがまた歴史をつくっているんですよね。
> 平泉というと「兵どもが夢の跡」が浮かびます。芭蕉さん、というか日本人の美学を体現してるんだなあ、とおもいます
仰るとおりと思います。五七五で日本人の美学を見事に表現した芭蕉の才能は素晴らしいですね。
> また伺います。続き楽しみです♪
重ね重ね有難うございます。是非お越し下さい!
日本人らしい焦点の当て方か?
オバ 勧進帳、いいですねぇ。
義経というう悲劇のヒーローを最もよく表現している場面かもしれません。それに弁慶の立往生も( ̄▽ ̄*) グッド!!です。
まさに判官贔屓というか、こういう悲劇のヒーローが日本人は好きなんでしょうね♪
現実には小さな事は大きな流れに巻き込まれて、流れていくのでしょうが、そこに焦点を当てているのが日本らしいと思います。
MAHHYA 義経が輝いていたのは、平家を倒すまでの、ほんの5年くらいの期間だったのでは・・・と思っています(>_<)
小さいときから母親と離れ、寺で暮らし、そのあとはどこでどのように修行をしていたのかも知れず・・・
奥州藤原氏が頼りだったのに、やはり、頼朝の知略にはかなわなかったということでしょうね・・・。
この活躍期間の短さと輝かしさ、その後の不幸が日本人の琴線に触れるのかもしれませんね(^_^)
オバさんへ
黒田裕樹 そうですね。我々日本人の心の琴線にふれるからこそ、仰るとおり全体の流れからすれば重要性が低く、史実の裏付けが少ないこうした物語が支持され続けるのでしょう。
また、義経の悲劇性に加えて、弁慶の主君に対する忠義心も高く評価されているのだと思います。
MAHHYAさんへ
黒田裕樹 戦術だけでは、どこまで行っても戦略や知略にはかなわない、というところでしょうか。幕府を開くほどの実力者の頼朝の強さと運の良さが感じられますね。
一瞬の輝きと悲劇性に加えて、義経の謎に包まれた前半生には神秘性が見られますね。このあたりも人気の高さの一因なのでしょう。
藤原秀衡
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
私が気になるのは、奥州藤原氏です。
というのも、藤原秀衡の在名中は、源頼朝は
奥州に手を出してないからです。
もしかして、源頼朝は、藤原秀衡のことを
かなり、大きな存在だと思っていたのではないでしょうか。
奥羽陸奥17万騎という言葉がありますが、
それだけの軍事力、経済力があったこと自体
凄いですね。
松尾芭蕉が、平泉で、その跡形もないことを
『強者達の夢の跡』と詠みましたが、、、
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり奥州藤原氏はかなりの勢力であり、また藤原秀衡の存在もかなり大きかったので、頼朝は様子を見ていたものと思われます。
しかし秀衡の死亡後は内部で対立を起こすなど勢力が衰え、本文のとおり切り札の義経を自ら失ったことも大きかったですね。
大きな勢力を維持することは、手に入れるよりももっと大変なことなのかもしれません。そして、同じことが頼朝亡き後の源氏にも言えることは歴史の皮肉でもあります。
懐かしいです~~。
何て言ってるのかよく聞き取れなかった記憶がありますが。。。
この時に藤原家も義経を守っていたら、頼朝は手を出せなかったでしょうね。
この時に義経は逃げのびて、北海道に行った話やモンゴルに行った話が有りますけど、事実はどうなんでしょうね?
ホントの話だったら面白いと思いません?
何かしんみりしてしまいますね。。。
いつも訪問&コメントありがとうございます。
骨肉の争いは、どうも源氏の本質のように思えます。
足利も最後は尊氏、直義兄弟の争いになり、結局弟直義が殺されていますよね。
力量のある方が殺されているのも同じで、ともに側近の告げ口で大事な一族をなくしてしまうことになる。
(頼朝=梶原景時、尊氏=高師直)
歴史には不可思議なことが多いのではと思います。
いかにも日本人が好みそうな「お涙頂戴」のストーリーなんですが、残念ながら史実の裏づけが見られない「伝説」なんですよね…。
歌舞伎ですから、セリフのしゃべり方も独特ですし、聞き取りにくかったのは良く分かります(^^ゞ
> この時に藤原家も義経を守っていたら、頼朝は手を出せなかったでしょうね。
そのとおりです。義経の戦術があれば、頼朝は奥州藤原氏を倒すことはできなかった可能性がありますね。そうなると我が国の歴史も相当変わったかもしれません。
> この時に義経は逃げのびて、北海道に行った話やモンゴルに行った話が有りますけど、事実はどうなんでしょうね?
> ホントの話だったら面白いと思いません?
この件については、明朝の最後の講座で見解を述べたいと思いますので、いましばらくお待ち下さい。
> 何かしんみりしてしまいますね。。。
義経の一生をたどると、まさに仰るとおりかと思います。自業自得の一面があるとはいえ、誰かフォローしてあげられなかったのかと思うと、確かに切なくなります。
権力を握った場合は、仰るとおり「骨肉の争い」がつきませんね。
血統は怪しいですが(笑)、徳川家も同じように家光VS忠長の後継者争いが見られますし。
まさしく事実は小説よりも奇なり。。
義経は、波乱万丈な人生だったんですね~。
しかも、奥州で自害を果たしてしまったというのが
事実なんですね。。
それが事実だとすると、北海道や、モンゴルの話など
まるきりのでっち上げ話ですよね。
例えば、アメリカが初めて月面に着陸した!という
映像の中で、アメリカの旗が無風状態の宇宙で
どうして、はためいていたのか・・とか、事実だと
思っていた事が実はねつ造では無かったのか・・という
噂も出ていますが、
そう思うと、義経も、もしかしたら。。
なんて、またまた、しつこく拘るぴーちでした^^;
応援凸
日本人としてはむしろ自然な感情だと思いますし。
その辺りも含めて、明日朝の最後の講座で解説したいと思いますので、またご覧になって下さいね。
応援有難うございます!
なるほど義経だけではなく
約100年続いた奥州藤原氏も滅亡ですか。
えらいとばっちりだったのでしょうか(笑)
源家の繁栄は後に
「しずか」というスターを生むことになりますから(笑)
応援♪
そうか。
時代を動かす人物になるには、戦略が重要な要素なんですね。
計画と実践。どちらを欠いても、物事は上手く進まない。
勉強させていただきましたー。
戦略のセの字も持ち合わせていない私です、とほほ。
いつもありがと。
> 約100年続いた奥州藤原氏も滅亡ですか。
> えらいとばっちりだったのでしょうか(笑)
とばっちりの面もありますし、泰衡の優柔不断による自業自得の一面もありますね。トップの判断で組織が崩壊しかねないのはいつの世も同じです。
> 源家の繁栄は後に
> 「しずか」というスターを生むことになりますから(笑)
そして「の○太」と結ばれてハッピーエンド(?)、というわけですね(笑)。
応援有難うございます!
> そうか。
> 時代を動かす人物になるには、戦略が重要な要素なんですね。
そうなんです。でもどんなに巧妙な戦略を立てても、机上の空論で終わっては意味がありません。そこで義経の登場となったわけです。
> 計画と実践。どちらを欠いても、物事は上手く進まない。
> 勉強させていただきましたー。
> 戦略のセの字も持ち合わせていない私です、とほほ。
> いつもありがと。
こちらこそ、いつも有難うございます。
私は両方持っていないような…(^^ゞ
読みやすくて面白くてどんどん読み進んでしまいました!高校の授業もこんなふうだったらよかったのに^^;
義経はよかれとおもったことが、兄にとっては不都合だったから追放されちゃうんじゃ、あんまり可哀想な気がしますが、そこにドラマがあり、後世に残ってるんですね。
平泉というと「兵どもが夢の跡」が浮かびます。芭蕉さん、というか日本人の美学を体現してるんだなあ、とおもいます
また伺います。続き楽しみです♪
> 読みやすくて面白くてどんどん読み進んでしまいました!高校の授業もこんなふうだったらよかったのに^^;
(元職ですが)教師として最高のお褒めの言葉、光栄かつ恐縮です。
> 義経はよかれとおもったことが、兄にとっては不都合だったから追放されちゃうんじゃ、あんまり可哀想な気がしますが、そこにドラマがあり、後世に残ってるんですね。
そうですね。義経本人にとってはたまったものではなかったでしょうけど、それがまた歴史をつくっているんですよね。
> 平泉というと「兵どもが夢の跡」が浮かびます。芭蕉さん、というか日本人の美学を体現してるんだなあ、とおもいます
仰るとおりと思います。五七五で日本人の美学を見事に表現した芭蕉の才能は素晴らしいですね。
> また伺います。続き楽しみです♪
重ね重ね有難うございます。是非お越し下さい!
義経というう悲劇のヒーローを最もよく表現している場面かもしれません。それに弁慶の立往生も( ̄▽ ̄*) グッド!!です。
まさに判官贔屓というか、こういう悲劇のヒーローが日本人は好きなんでしょうね♪
現実には小さな事は大きな流れに巻き込まれて、流れていくのでしょうが、そこに焦点を当てているのが日本らしいと思います。
小さいときから母親と離れ、寺で暮らし、そのあとはどこでどのように修行をしていたのかも知れず・・・
奥州藤原氏が頼りだったのに、やはり、頼朝の知略にはかなわなかったということでしょうね・・・。
この活躍期間の短さと輝かしさ、その後の不幸が日本人の琴線に触れるのかもしれませんね(^_^)
また、義経の悲劇性に加えて、弁慶の主君に対する忠義心も高く評価されているのだと思います。
一瞬の輝きと悲劇性に加えて、義経の謎に包まれた前半生には神秘性が見られますね。このあたりも人気の高さの一因なのでしょう。
こんばんは
青田です。
私が気になるのは、奥州藤原氏です。
というのも、藤原秀衡の在名中は、源頼朝は
奥州に手を出してないからです。
もしかして、源頼朝は、藤原秀衡のことを
かなり、大きな存在だと思っていたのではないでしょうか。
奥羽陸奥17万騎という言葉がありますが、
それだけの軍事力、経済力があったこと自体
凄いですね。
松尾芭蕉が、平泉で、その跡形もないことを
『強者達の夢の跡』と詠みましたが、、、
しかし秀衡の死亡後は内部で対立を起こすなど勢力が衰え、本文のとおり切り札の義経を自ら失ったことも大きかったですね。
大きな勢力を維持することは、手に入れるよりももっと大変なことなのかもしれません。そして、同じことが頼朝亡き後の源氏にも言えることは歴史の皮肉でもあります。