ところが、三種の神器の重要性を理解せず、平氏さえ倒してしまえばよいとしか考えていなかった義経には、頼朝の政治的センスがまるで理解できませんでした。壇ノ浦の戦いの後、三種の神器は清盛の未亡人が、安徳天皇とともに抱えて海の中へ飛び込んでしまいました。
神器のうち、勾玉(まがたま)と鏡は取り戻せましたが、剣は海の底に沈んでしまい、ついに取り戻せなかったのです。三種の神器に注意を引いていなかった義経の明らかな油断でした。しかし、義経は平氏を滅亡させたことの方がよほど重要であると信じ込んでおり、頼朝がなぜ自分に激怒するのか分からないままでした。
さらにもう一つ、義経は致命的なミスを犯していました。頼朝の許可もなく、後白河法皇から検非違使(けびいし、主として京都の治安維持を担当)への任官(にんかん)を受けてしまったことです。尚、任官後の義経は「九郎判官」(くろうほうがん)と呼ばれました。これが後に「判官贔屓」(ほうがんびいき)という言葉を生むことになります。
それはともかく、義経の行為は頼朝のそれまでの血のにじむような苦労を全部無駄にしてしまいかねない、とんでもないことでした。なぜそう言い切れるのでしょうか?
頼朝が「武士の、武士による、武士のための政治」を目指していたことは先述しましたが、これは要するに朝廷から独立した軍事政権をつくろうというものです。政権の独立性を維持しようとすれば、当然部下への「人事権」も、頼朝側で独自のものを持たなければなりません。




いつも有難うございます。
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タイクーン 黒田裕樹さん、こんにちは

なるほど

才覚を持っていたけれど、政治的センスに欠けて
いますね

戦争に「勝つ」ことと戦勝に対する「勲章」しか
頭にない

(義経の場合は官位)
これってどことなく、第二次大戦前の軍部の独走
と似ている感がありますよね

ぴーち こんばんは!
義経の「九朗判官」から「判官贔屓」という言葉が生まれたんですか^^また、一つ勉強になりました^^
「武士の、武士による、武士の為の政治」
なぜかリンカーンを思い出してしまうセリフです^^;
もっとも、リンカーンは日本でいえば、江戸時代末期の頃の
話ですものね^^;
それでは、応援凸
また、お邪魔しますね^^
さすらい こんばんは。
いつの時代も
良きにつれ悪きにつれ
軍事政権樹立とは難しいものですね。
義経と頼朝のそれぞれの葛藤。
それからそれから?(笑)
応援♪
タイクーンさんへ
黒田裕樹 > なるほど

> 才覚を持っていたけれど、政治的センスに欠けて
> いますね

> 戦争に「勝つ」ことと戦勝に対する「勲章」しか
> 頭にない

> (義経の場合は官位)
そうなんですよ。頼朝のためになると思ってやった軽率な行為が、結果として頼朝の足を引っ張っている…。これではどうしようもありません(´・ω・`)
> これってどことなく、第二次大戦前の軍部の独走
> と似ている感がありますよね

私もそう思います。戦争は始めることよりも終わらせることの方が大切ですから。それなのにズルズルと戦争を続けて、結果として何もかも失ってしまった…。我が国に確固とした「戦略」があれば、と悔やまれてなりません。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 義経の「九郎判官」から「判官贔屓」という言葉が生まれたんですか^^また、一つ勉強になりました^^
日本語の語源は意外と知られていませんからね。お役に立てて何よりです(^^♪
> 「武士の、武士による、武士の為の政治」
> なぜかリンカーンを思い出してしまうセリフです^^;
> もっとも、リンカーンは日本でいえば、江戸時代末期の頃の
> 話ですものね^^;
そうですね。武士の利益を追い求めた頼朝の思想は、リンカーンにも通じるところがありますね。我が国がそれだけ先を進んでいたというところでしょうか。だとすれば、そんな先人の努力を無にしないように、現代の我々もいろんな意味で祖国をしっかりと護っていきたいものです。
応援有難うございます!
さすらいさんへ
黒田裕樹 > いつの時代も
> 良きにつれ悪きにつれ
> 軍事政権樹立とは難しいものですね。
軍事政権のバックボーンは、武力だけではなく、権威や配慮も必要ですからね。すべてが揃わないと、平氏のように「はかない政権」で終わってしまう訳です。
> 義経と頼朝のそれぞれの葛藤。
> それからそれから?(笑)
明日をお楽しみに(笑)。
応援有難うございます!
頼朝の嫉妬じゃなかった?
オバ 頼朝が義経を討ったのは、義経が自分より優れているという嫉妬からだと思っていましたが、どうも違うようですね。
実際は頼朝の方に大義名分があったんですね。
相模守高時 勝手に官位を得たのは致命的ですね
もっとも義経自身には、それがなぜ問題なのかがわからないわけで。。。
俺は頼朝の弟、源家の血を引く者。
他の御家人とはちがうんだから、官位をもらって何が悪い、てなところだったんでしょうか。
頼朝にしてみれば、他の御家人と一緒なんですけど、そのあたりは義つてにはわからんかったんでしょうね。
管理人のみ閲覧できます
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オバさんへ
黒田裕樹 > 頼朝が義経を討ったのは、義経が自分より優れているという嫉妬からだと思っていましたが、どうも違うようですね。
一般的にはそう思われているようですが、実際には違うんですよ。我が国で初めて武家政権をつくり上げた頼朝ほどの人物が、嫉妬ごときで判断を誤るとは思えませんし。
> 実際は頼朝の方に大義名分があったんですね。
仰るとおりです。次回のブログで詳細な理由を書くことになりますよ。
相模守高時さんへ
黒田裕樹 お書きのこと、まさに仰るとおりです。
さらにひどいことには、午後に書いたとおり官位をもらった義経が「一族にとって名誉なことだ」と信じ込んでいたことですね。頼朝が激怒するのも当たり前です。

なるほど

才覚を持っていたけれど、政治的センスに欠けて
いますね

戦争に「勝つ」ことと戦勝に対する「勲章」しか
頭にない

(義経の場合は官位)
これってどことなく、第二次大戦前の軍部の独走
と似ている感がありますよね

義経の「九朗判官」から「判官贔屓」という言葉が生まれたんですか^^また、一つ勉強になりました^^
「武士の、武士による、武士の為の政治」
なぜかリンカーンを思い出してしまうセリフです^^;
もっとも、リンカーンは日本でいえば、江戸時代末期の頃の
話ですものね^^;
それでは、応援凸
また、お邪魔しますね^^
いつの時代も
良きにつれ悪きにつれ
軍事政権樹立とは難しいものですね。
義経と頼朝のそれぞれの葛藤。
それからそれから?(笑)
応援♪

> 才覚を持っていたけれど、政治的センスに欠けて
> いますね

> 戦争に「勝つ」ことと戦勝に対する「勲章」しか
> 頭にない

> (義経の場合は官位)
そうなんですよ。頼朝のためになると思ってやった軽率な行為が、結果として頼朝の足を引っ張っている…。これではどうしようもありません(´・ω・`)
> これってどことなく、第二次大戦前の軍部の独走
> と似ている感がありますよね

私もそう思います。戦争は始めることよりも終わらせることの方が大切ですから。それなのにズルズルと戦争を続けて、結果として何もかも失ってしまった…。我が国に確固とした「戦略」があれば、と悔やまれてなりません。
日本語の語源は意外と知られていませんからね。お役に立てて何よりです(^^♪
> 「武士の、武士による、武士の為の政治」
> なぜかリンカーンを思い出してしまうセリフです^^;
> もっとも、リンカーンは日本でいえば、江戸時代末期の頃の
> 話ですものね^^;
そうですね。武士の利益を追い求めた頼朝の思想は、リンカーンにも通じるところがありますね。我が国がそれだけ先を進んでいたというところでしょうか。だとすれば、そんな先人の努力を無にしないように、現代の我々もいろんな意味で祖国をしっかりと護っていきたいものです。
応援有難うございます!
> 良きにつれ悪きにつれ
> 軍事政権樹立とは難しいものですね。
軍事政権のバックボーンは、武力だけではなく、権威や配慮も必要ですからね。すべてが揃わないと、平氏のように「はかない政権」で終わってしまう訳です。
> 義経と頼朝のそれぞれの葛藤。
> それからそれから?(笑)
明日をお楽しみに(笑)。
応援有難うございます!
実際は頼朝の方に大義名分があったんですね。
もっとも義経自身には、それがなぜ問題なのかがわからないわけで。。。
俺は頼朝の弟、源家の血を引く者。
他の御家人とはちがうんだから、官位をもらって何が悪い、てなところだったんでしょうか。
頼朝にしてみれば、他の御家人と一緒なんですけど、そのあたりは義つてにはわからんかったんでしょうね。
一般的にはそう思われているようですが、実際には違うんですよ。我が国で初めて武家政権をつくり上げた頼朝ほどの人物が、嫉妬ごときで判断を誤るとは思えませんし。
> 実際は頼朝の方に大義名分があったんですね。
仰るとおりです。次回のブログで詳細な理由を書くことになりますよ。
さらにひどいことには、午後に書いたとおり官位をもらった義経が「一族にとって名誉なことだ」と信じ込んでいたことですね。頼朝が激怒するのも当たり前です。