なお、教育勅語は明治天皇が親しく国民に発せられたお言葉として御名(ぎょめい、公文書における天皇ご自身による署名のこと)だけが記され、国務大臣(こくむだいじん)の署名は副署(ふくしょ)されませんでした。
勅語は当時の国民世論から大いに歓迎(かんげい)され、小学校修身科(しゅうしんか)の教科書に掲載(けいさい)されたほか、学校行事において校長先生が奉読(ほうどく、つつしんで読むこと)するなど多くの児童(じどう)や生徒の日常の中にごく当たり前のものとして存在したほか、英・独・仏・中の各国語に翻訳(ほんやく)され、海外にも広く紹介(しょうかい)されました。
ところで、昭和に入ってから勅語の文章中の「天壤無窮(てんじょうむきゅう)ノ皇運(こううん)」や「億兆(おくちょう)心ヲ一(いつ)ニシテ」などの部分が軍部を中心に特に強調されるようになりましたが、これは勅語本来の精神とは全く別の問題であると解釈(かいしゃく)できます。
なぜなら、勅語が発せられた明治23年といえば国民の間でもようやく「幕府や藩への忠誠心」から「国家への忠誠心」へと明らかに変化した時期であり、それを踏まえて「これからは国の元首たる天皇の下で国家の繁栄(はんえい)のために力を尽(つ)くしなさい」という意味が勅語において伝統的で古風(こふう)な手法で述(の)べられているからです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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晴雨堂ミカエル 善行から出発したものでも、それを悪用する者が必ず現れます。悪用されたからといって、善行そのものまで否定されてしまうのは世の常です。
これは教育勅語に限ったことではなく、生類憐れみの令しかり、後世は民主主義や人権も対象となるでしょう。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 仰る一面は確かにありますが、だからこそ私たちは事の本質を見抜いて「ならぬものはならぬ」という精神を身に着ける必要があります。
相手の意見に唯々諾々と流される国民ばかりでは、その国はいずれ滅びることでしょう。
ぴーち 昭和に入ってからの軍部は破竹の勢いだったのですね。利用できるものはなんでも利用する。排除したいものは徹底的に弾圧する。悪く言えば、国を自由に操り、好き放題に仕切る事が出来た「癌」の様な存在に今更ながら、思えてなりません。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 ぴーちさんのお気持ちは私も理解できますし、戦後になって軍部がその様に判断されてしまうことも致し方ないかもしれません。
ただ、一方的にレッテル貼りをするだけではなく、それならそれで「なぜ軍部はそこまで追いつめられていたのか。本来軍部を抑えるべき政治は何をやっていたのか」ということも同時に考える必要があると思います。
戦前の歴史については来年に取り上げますので、その時に改めて一つの判断を下したいと思います。
おっ、来年に取り上げるとなれば・・。
晴雨堂ミカエル 二月に2・26事件を中心に取り上げるおつもりですね。
晴雨堂ミカエルさんへ その2
黒田裕樹 来年2月は時期的に通史がまだ追いつかない可能性が高いです。
どの事件をいつ取り上げるかは当方で決めさせていただきます。
教育勅語しかり、軍人勅諭しかり、
てぃん 日本近代史の矜持として見直すべき、ステートメントだと感じます。
難しく考えるのではなく、その内容に先入観なく触れれば、素直にそう“感じる”のです。
既存の解釈や思想的バイアスを取り除いて、素直な歴史認識を教示くださる黒田先生の講座は、今の時代、特に必要だと応援申しあげます。
てぃんさんへ
黒田裕樹 応援くださり有難うございます。
ご高説、誠に仰るとおりです。
今後とも素直な歴史認識を心がけて講座を続けてまいりますので、どうぞよろしくお願いします。
教育勅語
- 黒田先生
こんばんは
青田です。
私は、教育勅語は、素晴らしいですし、復活させるべきだと思いますが
ただ、一つだけ引っ掛かる点があります。
それは、漢文であるということです。
漢文だと
① 内容がわかりにくい。(子供に)
② 中国の文化が入っている気がする。
中国の史記で、教育勅語のような漢文で、皇帝が部下に命令したり、部下が皇帝に進言したりする内容をよく、観たので、
個人的には、漢文調は、どうも抵抗があります。
平成の『教育勅語』は、現代語訳のものにしたほうがイイと思います。
青田さんへ
黒田裕樹 仰る気持ちはよく分かりますが、漢文の素養は幼少の頃から身につければ十分理解できます。
そのような教育をしてこなかったことに問題があるのです。
現代語訳も必要とは思いますが、漢文も同時に理解したいものですね。
教育勅語が漢文である理由
- 黒田先生
こんばんは
青田です。
長い間、なぜ、『教育勅語』が漢文か
疑問だったので、あれから
ネットで調べて、驚きました。
以下ある高校教諭のネットからの引用です。
━━━━━━━━━━━━━━━
戦前「国漢数英」と称し主要科目に列せられた漢文は、
今や国語の古典分野の一つとして吸収され、
中学高校の授業時間は激減しています。
恐らく旧制中学の3分の1にも及ばないでしょう。
━━━━━━━━━━━━━━━
私も『漢文』=『文法』の印象しかありませんが
大人になり、論語を読むようになり
論語は、『生き抜く知恵』であることがわかると
『漢文』の意味合いがわかるようになりました。
これは、論理の飛躍かもしれませんが
『教育勅語』が復活できないことと
『漢文教育の形骸化』とは、(日本人の精神性を失くすための)相関関係があるような気がします。
青田さんへ その2
黒田裕樹 この分野は明治天皇に関する講演ですので、教育勅語に関してはこれ以上は深く触れませんが、仰るご意見は確かに一理あるかと思われます。
これは教育勅語に限ったことではなく、生類憐れみの令しかり、後世は民主主義や人権も対象となるでしょう。
相手の意見に唯々諾々と流される国民ばかりでは、その国はいずれ滅びることでしょう。
ただ、一方的にレッテル貼りをするだけではなく、それならそれで「なぜ軍部はそこまで追いつめられていたのか。本来軍部を抑えるべき政治は何をやっていたのか」ということも同時に考える必要があると思います。
戦前の歴史については来年に取り上げますので、その時に改めて一つの判断を下したいと思います。
どの事件をいつ取り上げるかは当方で決めさせていただきます。
難しく考えるのではなく、その内容に先入観なく触れれば、素直にそう“感じる”のです。
既存の解釈や思想的バイアスを取り除いて、素直な歴史認識を教示くださる黒田先生の講座は、今の時代、特に必要だと応援申しあげます。
ご高説、誠に仰るとおりです。
今後とも素直な歴史認識を心がけて講座を続けてまいりますので、どうぞよろしくお願いします。
こんばんは
青田です。
私は、教育勅語は、素晴らしいですし、復活させるべきだと思いますが
ただ、一つだけ引っ掛かる点があります。
それは、漢文であるということです。
漢文だと
① 内容がわかりにくい。(子供に)
② 中国の文化が入っている気がする。
中国の史記で、教育勅語のような漢文で、皇帝が部下に命令したり、部下が皇帝に進言したりする内容をよく、観たので、
個人的には、漢文調は、どうも抵抗があります。
平成の『教育勅語』は、現代語訳のものにしたほうがイイと思います。
そのような教育をしてこなかったことに問題があるのです。
現代語訳も必要とは思いますが、漢文も同時に理解したいものですね。
こんばんは
青田です。
長い間、なぜ、『教育勅語』が漢文か
疑問だったので、あれから
ネットで調べて、驚きました。
以下ある高校教諭のネットからの引用です。
━━━━━━━━━━━━━━━
戦前「国漢数英」と称し主要科目に列せられた漢文は、
今や国語の古典分野の一つとして吸収され、
中学高校の授業時間は激減しています。
恐らく旧制中学の3分の1にも及ばないでしょう。
━━━━━━━━━━━━━━━
私も『漢文』=『文法』の印象しかありませんが
大人になり、論語を読むようになり
論語は、『生き抜く知恵』であることがわかると
『漢文』の意味合いがわかるようになりました。
これは、論理の飛躍かもしれませんが
『教育勅語』が復活できないことと
『漢文教育の形骸化』とは、(日本人の精神性を失くすための)相関関係があるような気がします。