西郷が改革を始めた理由には、まだお若(わか)かった明治天皇を全力で支えるとともに、天皇ご自身に君主として相応(ふさわ)しい力量(りきりょう)をお持ちになってほしいという西郷の切(せつ)なる願いがありました。
例(たと)えば、それまで天皇のそばには多くの女官(にょかん)が身の回りの世話をしていたのを退(しりぞ)け、山岡鉄舟(やまおかてっしゅう)など質実剛健(しつじつごうけん、飾り気がなくまじめでたくましくしっかりしていること)な旧武士たちが明治天皇に直接仕(つか)えるようになりました。
維新の大功労者(だいこうろうしゃ)である西郷だからこそ為し得た大改革ともいえましたが、明治天皇はご身辺(しんぺん)の大変化に見事に順応(じゅんのう)され、毎日のように乗馬(じょうば)を楽しまれるなどたくましく成長されたそうです。





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ぴーち おはようございます!
メダリストに一流の恩師あり・・・などという言葉がありますが、やはり、歴史に名を残す人物の影には一流の恩師の存在を見過ごしてはいけませんね。
そう言えば、昭和天皇の恩師にも乃木将軍がいらっしゃいましたね。
(と、黒田さんに教えていただいた記憶が(^^ゞ
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
昭和天皇がご幼少の頃の乃木将軍とのご関係も同じですし、恩師との出会いは必須なのでしょうね。
天皇についての誤解
- 黒田先生
こんばんは
青田です。
戦後教育とマスコミが生みだしたことだとは思いますが
まず、多くの国民が、知らないことは
① 明治天皇を始めとして、その後の昭和天皇、
現在の今上陛下、現在の皇太子
を含め、皇室の方々への教育は、非常にスパルタ教育であったということですね。
(明治天皇→西郷隆盛)(昭和天皇→乃木将軍)
② 天皇のご公務は、非常に激務であるということです。(明治天皇・昭和天皇・今上陛下)
③ 皇室の方々の生活は、非常に質素であり
どこかの国の独裁者とは、全く違うということです。
マスコミも、皇室にたいして、そういうことを
しっかりと報道せず、どうでもイイ低レベルなことを報道するのは、イイ加減止めて欲しいですね。
それと、教師の皇室批判を授業でするのは、止めて欲しいです。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、悪意を持った洗脳はやめさせなければいけませんね。
山岡鉄舟
青田です。 黒田先生
青田です。
この山岡鉄舟が明治天皇の教育係というのは
当時としては、考えられない人事ですね。
山岡鉄舟は、身分も低く、しかも、政府の要職に就いても、超貧乏生活でした。
本人は何も気にしてませんでしたが、
山岡鉄舟の言葉です。
『自分の力で立てる人間は、必要ない。自分の力で立てないような人間こそ俺を必要としているだから世話をするのだ。』
そのため勝海舟は、『鉄舟のところにはガラクタのような人間ばかり集まってきた。』と言っていました。
勝海舟は、山岡の家は、『化け物屋敷』だと語っていました。
この山岡鉄舟が明治天皇の教育係をしたことは、後に
国民、前線の兵士達にキメの細かい優しさ(大御心)にも影響していると思います。
ちなみに、
明治2年(1869年)、山岡鉄舟は、明治天皇の京都行幸の際、明治天皇から手土産の相談を受けました。そして山本海苔店二代目山本德治郎に相談したことで、味付け海苔が創案されました。
青田さんへ その2
黒田裕樹 なるほど、山岡鉄舟の伝説は興味深いですね。明治天皇のお側に仕えたことが、我が国のその後に大きく貢献しているのかもしれません。
メダリストに一流の恩師あり・・・などという言葉がありますが、やはり、歴史に名を残す人物の影には一流の恩師の存在を見過ごしてはいけませんね。
そう言えば、昭和天皇の恩師にも乃木将軍がいらっしゃいましたね。
(と、黒田さんに教えていただいた記憶が(^^ゞ
応援凸
昭和天皇がご幼少の頃の乃木将軍とのご関係も同じですし、恩師との出会いは必須なのでしょうね。
こんばんは
青田です。
戦後教育とマスコミが生みだしたことだとは思いますが
まず、多くの国民が、知らないことは
① 明治天皇を始めとして、その後の昭和天皇、
現在の今上陛下、現在の皇太子
を含め、皇室の方々への教育は、非常にスパルタ教育であったということですね。
(明治天皇→西郷隆盛)(昭和天皇→乃木将軍)
② 天皇のご公務は、非常に激務であるということです。(明治天皇・昭和天皇・今上陛下)
③ 皇室の方々の生活は、非常に質素であり
どこかの国の独裁者とは、全く違うということです。
マスコミも、皇室にたいして、そういうことを
しっかりと報道せず、どうでもイイ低レベルなことを報道するのは、イイ加減止めて欲しいですね。
それと、教師の皇室批判を授業でするのは、止めて欲しいです。
青田です。
この山岡鉄舟が明治天皇の教育係というのは
当時としては、考えられない人事ですね。
山岡鉄舟は、身分も低く、しかも、政府の要職に就いても、超貧乏生活でした。
本人は何も気にしてませんでしたが、
山岡鉄舟の言葉です。
『自分の力で立てる人間は、必要ない。自分の力で立てないような人間こそ俺を必要としているだから世話をするのだ。』
そのため勝海舟は、『鉄舟のところにはガラクタのような人間ばかり集まってきた。』と言っていました。
勝海舟は、山岡の家は、『化け物屋敷』だと語っていました。
この山岡鉄舟が明治天皇の教育係をしたことは、後に
国民、前線の兵士達にキメの細かい優しさ(大御心)にも影響していると思います。
ちなみに、
明治2年(1869年)、山岡鉄舟は、明治天皇の京都行幸の際、明治天皇から手土産の相談を受けました。そして山本海苔店二代目山本德治郎に相談したことで、味付け海苔が創案されました。