聖徳太子は1000年を遥(はる)かに超える長い年月の間ずっと我が国の人々に語り継がれた立派な偉人です。近現代においても我が国のお札(さつ)の肖像画として何度も採用され、特に昭和33(1958)年から昭和59(1984)年までの26年の長きにわたって我が国の最高額紙幣(しへい)である一万円札に使用されたという事実が、聖徳太子の我が国における人気が途切れることなく続いているという明確な証拠となっています。
我が国の歴史は我が国のものなのですから、厩戸皇子に対して感謝や畏敬(いけい)、あるいは親しみを込めて「聖徳太子」と呼称することに何の遠慮が必要というのでしょうか。私たち日本人は今後もずっと「聖徳太子」という称号で彼の偉大な業績を讃(たた)えるべきです。
さらに付け加えれば、聖徳太子にまつわる話は決して過去の問題ではなく、現在においても大きな教訓として私たちの目の前に存在しています。我が国固有の領土である尖閣諸島を守るという日本国民にとって当然の意識も聖徳太子による対等外交の精神がそのDNAとなっていますし、もし彼の努力を無駄にするような政府が現在進行形で存在するのであれば、多数の国民が抗議の声を上げるのはむしろ当然の帰結なのです。
遥か昔の亡国の危機に際し、たった一人で内政面や外交面の両方から一大改革を成し遂(と)げ、結果として我が国を一流国へと引き上げた聖徳太子。彼が遺した実績から歴史に学ぶ姿勢こそが、混迷を極める我が国の現状に一条の光をもたらすことになるのではないでしょうか。
(※第32回歴史講座の内容はこれで終了です。次回[10月29日]からは通常の更新[=大正時代]に戻ります)





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ぴーち おはようございます!
1000年も以前の人物の功績が今でも讃えられているというのは、本当に素晴らしいです!
裏を返せば、聖徳太子以上、或いは同等に優れた人物はこの1000年に間には出現しなかったということになるでしょうか(^_^;)
優れた人材は、1000年に一人、出るか出ないかと言うなれば、もうそろそろ現代の日本にも出現してもおかしくなさそうですが、その気配は
いかに・・・?
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 なるほど、聖徳太子以来の偉人が我が国に出現しているかどうかですね?
…現代には確かにいなさそうかもしれませんが、亡国の危機にこそ救国の英雄が現れるとも言いますからね。
言葉の重みに鈍くなっている日本人
青田 黒田先生
青田です。
この聖徳太子の話について、
あまり、反応しない日本人が多いようですが、
これは、『言葉の重み』の感じ方について
日本人と中国人とでは、全く、違うからだと思います。
たとえば、聖徳太子が、隋の煬帝に『天皇』という敬称を認めさせたことの重要性。
『聖徳太子』を『厩戸皇子』に変更させられていることの屈辱をあまり、一部の日本人以外は、感じていません。
それは、日本人が考えてない大前提があります。
世界で、日常で、使っている文字が漢字なのは、中国・台湾・日本だけであること。
古来、中国(シナ)では、漢字を使えることが中国人としての証明であったこと。
ベトナムは、昔、漢字を使っていましたが、今は、使っていませんし、
朝鮮半島の人達は、現在は、ハングル語で、漢字は、苗字くらいにしか使っていませんが、1400年以前は漢字を使っていました。
逆に言えば、中国にとっても、日本にとっても
漢字の呼び方が、外交上においても、民族的な意識においても大きな影響を及ぼすほど重要だということです。
これが、わかってないから、
中国の
『尖閣諸島の棚上げ』という言葉の解釈を使った
巧みな罠で、つけ込まれている気がします。
あらためて、『文字』(言葉)の重要性を痛感します。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、言葉は重要ですよね。
相手の言い分を鵜呑みにするほど愚かな行為はありません。
1000年も以前の人物の功績が今でも讃えられているというのは、本当に素晴らしいです!
裏を返せば、聖徳太子以上、或いは同等に優れた人物はこの1000年に間には出現しなかったということになるでしょうか(^_^;)
優れた人材は、1000年に一人、出るか出ないかと言うなれば、もうそろそろ現代の日本にも出現してもおかしくなさそうですが、その気配は
いかに・・・?
応援凸
…現代には確かにいなさそうかもしれませんが、亡国の危機にこそ救国の英雄が現れるとも言いますからね。
青田です。
この聖徳太子の話について、
あまり、反応しない日本人が多いようですが、
これは、『言葉の重み』の感じ方について
日本人と中国人とでは、全く、違うからだと思います。
たとえば、聖徳太子が、隋の煬帝に『天皇』という敬称を認めさせたことの重要性。
『聖徳太子』を『厩戸皇子』に変更させられていることの屈辱をあまり、一部の日本人以外は、感じていません。
それは、日本人が考えてない大前提があります。
世界で、日常で、使っている文字が漢字なのは、中国・台湾・日本だけであること。
古来、中国(シナ)では、漢字を使えることが中国人としての証明であったこと。
ベトナムは、昔、漢字を使っていましたが、今は、使っていませんし、
朝鮮半島の人達は、現在は、ハングル語で、漢字は、苗字くらいにしか使っていませんが、1400年以前は漢字を使っていました。
逆に言えば、中国にとっても、日本にとっても
漢字の呼び方が、外交上においても、民族的な意識においても大きな影響を及ぼすほど重要だということです。
これが、わかってないから、
中国の
『尖閣諸島の棚上げ』という言葉の解釈を使った
巧みな罠で、つけ込まれている気がします。
あらためて、『文字』(言葉)の重要性を痛感します。
相手の言い分を鵜呑みにするほど愚かな行為はありません。