すなわち、歴史教育では生前に使用された名前で表現すべきであるから聖徳太子ではなく本名の「厩戸皇子」あるいは「厩戸王(うまやとおう)」と呼ぶべきだというのです。確かに高校でよく使用される有名な教科書においては現実に「厩戸王」という表現が使用されています。
しかし、この理屈には無理があります。もし「歴史教育では生前に使用された名前で表現すべきである」とするのなら、歴代の天皇など、その死後に名前が贈られた人々はどのように呼べばよいのでしょうか。例えば今上陛下(きんじょうへいか)を含めてすべてを「天皇」と表現するのであれば誰が誰だか分からなくなってしまいますし、こんな人を馬鹿にした話はありません。
さらに、聖徳太子については不在説があるのは確かですが、今のところは断定できる段階まで研究が進んでいません。そのような歴史研究の場で未だに決着がついていない事柄を簡単に変えてしまってよいものでしょうか。ましてや後世の人間が「聖徳太子」という名を贈ったという重い現実を無視してまで呼び方の変更を急ぐ理由が他にもあるのでしょうか。
私には思い当たる節(ふし)があります。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
- 黒田先生
こんにちは
青田です。
この話を両親に話すと
(父親80才、母親75才)
に話すと
『そんな、アホな。』と固まってしまいました。
というのも、
両親にとっては、
1万円札は、聖徳太子だから、有り難かったからです。
「厩戸王」なら、昭和を生きた人の感覚も
ズレてしまうことになります。
私は、46歳ですが、もしかしたら、
私が受けていた『日本の歴史教育』(かなり、偏向だったとは、思いますが)と
今の『歴史教育』とは、かなり、違うのかもしれませんね。
さらに、それに拍車をかけているのは
私の時は、日本の時代劇の全盛時代でしたので
興味を持って別の本を読んだりましたが、
今は、時代劇がほとんどなくなり、(韓国の時代劇は、放送していますが)歴史に興味のない若者が多いです。
青田さんへ
黒田裕樹 「そんなアホな」という思い、私にもよく分かります。
これは立派な「後世による歴史の改悪」と言えるでしょう。
ではどうしてこういうことになったかというと、それは次回の更新で。
ぴーち おはようございます!
後の天皇家の話は度外視させていただくとして・・
私は「厩戸皇子」でも良かったのではないかと思います。なぜなら、前回コメントをさせていただいた内容の様に、例えそれが貧相な名前であったとしても、それが事実であるのだったら、生まれはそうであっても、その人の生き方、学び方によっては聖人と言われる人物にまで出世することが出来るのだという強烈なメッセージとなるように思います。
けれど、聖徳太子という別名を後の人々がその偉大なる功績を讃えて寄贈した名前であったのなら、それも立派な功績の一つでもあるので、結果的にそう呼ばれるような人物になったという、こちらも呼び名で証明されたようなものだと思います。
こういう問題は、どちらか一方が正しくて、どちらが一方は間違っているという判断よりも、どちらも事実であり、どちらの呼び名も彼であったのだと教育されるべきでは無いでしょうか。
これまでこういう問題はなかなか通常の授業では議論がされなかっただけに、今回の黒田さんの記事の内容は殊更、歴史の大切さを痛感させられ、また勉強になりました。ありがとうございますm(__)m
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > こういう問題は、どちらか一方が正しくて、どちらが一方は間違っているという判断よりも、どちらも事実であり、どちらの呼び名も彼であったのだと教育されるべきでは無いでしょうか。
おっしゃることは私も理解できます。
もし聖徳太子の名前を厩戸皇子と呼ぶ理由がぴーちさんのようなお考えであれば、それはそれで問題はないのかもしれません。
しかし、皇位継承者である「皇子」ではなくただの皇族でしかない「王」を広めようとしか考えられない書き方である教科書を見ると、どうしても次回(27日)に紹介するような思惑があるのではないかとしか考えられないのもまた事実なのです。
こんにちは
青田です。
この話を両親に話すと
(父親80才、母親75才)
に話すと
『そんな、アホな。』と固まってしまいました。
というのも、
両親にとっては、
1万円札は、聖徳太子だから、有り難かったからです。
「厩戸王」なら、昭和を生きた人の感覚も
ズレてしまうことになります。
私は、46歳ですが、もしかしたら、
私が受けていた『日本の歴史教育』(かなり、偏向だったとは、思いますが)と
今の『歴史教育』とは、かなり、違うのかもしれませんね。
さらに、それに拍車をかけているのは
私の時は、日本の時代劇の全盛時代でしたので
興味を持って別の本を読んだりましたが、
今は、時代劇がほとんどなくなり、(韓国の時代劇は、放送していますが)歴史に興味のない若者が多いです。
これは立派な「後世による歴史の改悪」と言えるでしょう。
ではどうしてこういうことになったかというと、それは次回の更新で。
後の天皇家の話は度外視させていただくとして・・
私は「厩戸皇子」でも良かったのではないかと思います。なぜなら、前回コメントをさせていただいた内容の様に、例えそれが貧相な名前であったとしても、それが事実であるのだったら、生まれはそうであっても、その人の生き方、学び方によっては聖人と言われる人物にまで出世することが出来るのだという強烈なメッセージとなるように思います。
けれど、聖徳太子という別名を後の人々がその偉大なる功績を讃えて寄贈した名前であったのなら、それも立派な功績の一つでもあるので、結果的にそう呼ばれるような人物になったという、こちらも呼び名で証明されたようなものだと思います。
こういう問題は、どちらか一方が正しくて、どちらが一方は間違っているという判断よりも、どちらも事実であり、どちらの呼び名も彼であったのだと教育されるべきでは無いでしょうか。
これまでこういう問題はなかなか通常の授業では議論がされなかっただけに、今回の黒田さんの記事の内容は殊更、歴史の大切さを痛感させられ、また勉強になりました。ありがとうございますm(__)m
応援凸
おっしゃることは私も理解できます。
もし聖徳太子の名前を厩戸皇子と呼ぶ理由がぴーちさんのようなお考えであれば、それはそれで問題はないのかもしれません。
しかし、皇位継承者である「皇子」ではなくただの皇族でしかない「王」を広めようとしか考えられない書き方である教科書を見ると、どうしても次回(27日)に紹介するような思惑があるのではないかとしか考えられないのもまた事実なのです。