そして、聖徳太子による対等外交の方針は、それまでの中国による冊封体制(さくほうたいせい)から脱却(だっきゃく)するきっかけとなり、我が国に自主独立の精神と独自の文化を生み出すきっかけにもなったのです。その意味においても、外交面において聖徳太子が我が国に残した功績(こうせき)は極(きわ)めて大きなものがありました。
ところで、我が国の伝統的な思想として「至誠は天に通じる」といった、ひたすら低姿勢で相手のことを思いやり、また争いを好まず、話し合いで何事も解決しようとする考えがありますが、そういったやり方は国内では通用しても、国外、特に外交問題では全くといっていいほど通用しないということが、聖徳太子と高句麗とに対する隋の態度の大きな違いを見ればよく分かりますね。
我々日本人には、かねてより清廉潔白(せいれんけっぱく、心が清くて私欲がなく後ろ暗いところのないこと)を好む風潮(ふうちょう)があり、それ自体は非常に重要なことではありますが、対外的には通用しないどころか逆に利用されてしまうという危険性すらあるのです。聖徳太子と高句麗との外交姿勢の大きな違いは、現代に生きる私たちに大きな教訓を残しているといえるでしょう。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち おはようございます!
仰るとおり、同じ国民同士の間では諍い無く
円滑に生活していこうという知恵の中で生まれた
思いやり精神も、
常にそれが生かされるという訳ではありませんよね。
相手の理不尽な要求、或いは暴力的な態度、言葉に対して、それを容認するかの様な低姿勢な態度では、相手はそれが良いものだと勘違いし、益々エスカレートさせる原因にもなり兼ねません。
相手の善悪をこちらが正しく判断し、相手のペースに流される事なく、己というものをしっかり失わないように常にブレない判断でいることが、例えどんなに力が無い存在であっても、相手にとっては脅威になる存在であると思いますね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりです。
生き馬の目を抜く国際社会では日本式な交流は通用しません。
絶対ぶれずに相手に脅威を与える手法で十分だと思います。
はじめまして
大和草 拙ブログで「政治家に肝に銘じていただきたい地政学上の名言」をアップしたばかりです。
聖徳太子はその時代にすべて網羅した外交を行っていたのですね。
是非こちらの記事を転載させてください。
宜しくお願いいたします。
大和草さんへ
黒田裕樹 はじめまして、当ブログへのご訪問並びにお言葉ありがとうございます。
拙文が貴ブログのお役に立てれば光栄ですし、また事前のお伺いのお言葉に感謝します。
どうぞ転載なさってください。
仰るとおり、同じ国民同士の間では諍い無く
円滑に生活していこうという知恵の中で生まれた
思いやり精神も、
常にそれが生かされるという訳ではありませんよね。
相手の理不尽な要求、或いは暴力的な態度、言葉に対して、それを容認するかの様な低姿勢な態度では、相手はそれが良いものだと勘違いし、益々エスカレートさせる原因にもなり兼ねません。
相手の善悪をこちらが正しく判断し、相手のペースに流される事なく、己というものをしっかり失わないように常にブレない判断でいることが、例えどんなに力が無い存在であっても、相手にとっては脅威になる存在であると思いますね。
応援凸
生き馬の目を抜く国際社会では日本式な交流は通用しません。
絶対ぶれずに相手に脅威を与える手法で十分だと思います。
聖徳太子はその時代にすべて網羅した外交を行っていたのですね。
是非こちらの記事を転載させてください。
宜しくお願いいたします。
拙文が貴ブログのお役に立てれば光栄ですし、また事前のお伺いのお言葉に感謝します。
どうぞ転載なさってください。