一度煬帝を怒らせた以上、中国の君主と同じ称号を名乗ることは二度とできませんが、だからといって再び朝貢外交の道をたどることも許されません。考え抜いた末に作られた国書の文面は以下のように書かれていました。
「東の天皇、敬(つつ)しみて、西の皇帝に白(もう)す」。
我が国が皇帝の文字を避(さ)けることで隋の立場に配慮(はいりょ)しつつも、それに勝るとも劣(おと)らない称号である「天皇」を使用することで、両国が対等な立場であるという方針を変更しないという断固(だんこ)たる決意を示したのでした。ちなみに、この国書が「天皇」という称号が使われた始まりとされています(ただし、異説もあり)。





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ぴーち おはようございます!
なるほど!天皇という言葉が聖徳太子が初めて
使われた言葉であり、苦肉の策から生まれた
言葉でもあった訳ですね。異説とはどんな説なのでしょうか?
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、聖徳太子の苦心の策が現代にもつながる称号を誕生させたということですね。
異説としては、聖徳太子より後の時代の天武天皇の頃につくられたというのがあります。
オバrev 言葉で伝えるのと違い、文書にするということは証拠としてしっかり残るりますから、一字一字が非常に重要になりますよね。
短い一文でも、練りに練った重みのある珠玉の言葉が並んでいるように思えます(^o^)
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、聖徳太子の知恵の結晶がちりばめられた名文だと思います。
現代の政治家にここまでの外交ができる人が存在するでしょうか…。
なるほど!天皇という言葉が聖徳太子が初めて
使われた言葉であり、苦肉の策から生まれた
言葉でもあった訳ですね。異説とはどんな説なのでしょうか?
応援凸
異説としては、聖徳太子より後の時代の天武天皇の頃につくられたというのがあります。
短い一文でも、練りに練った重みのある珠玉の言葉が並んでいるように思えます(^o^)
現代の政治家にここまでの外交ができる人が存在するでしょうか…。