文武天皇の治世(ちせい)の701年、我が国初の本格的な法令である大宝律令(たいほうりつりょう)が、天武天皇の子である刑部親王(おさかべしんのう)や、藤原鎌足の子である藤原不比等(ふじわらのふひと)らによって完成しました。
律とは刑罰の規定で、令とは行政法や民法などの法規(ほうき)のことです。唐の律令にならって作られた大宝律令は、その後長く我が国の政治の基本となりました。尚、これより後の718年には、大宝律令を一部改訂(かいてい)した養老律令(ようろうりつりょう)がつくられています。
この頃の我が国の中央組織は、神々の祭りをつかさどる神祇官(じんぎかん)と、行政全般を担当する太政官(だいじょうかん、または「だじょうかん」)に大きく分かれ、太政官の下で大蔵省(おおくらしょう)などの八省(はっしょう)が政務を分担しました。また、行政の運営は、太政大臣(だいじょうだいじん、または「だじょうだいじん」)などの太政官の公卿(くぎょう)による合議で進められました。
地方の組織は、畿内(きない)と東海道などの七道(しちどう)に区分され、その下に地方行政区である国(くに)や、郡(ぐん、または「こおり」)、里(り、または「さと」)があり、それぞれ国司(こくし)・郡司(ぐんじ)・里長(さとおさ、または「りちょう」)が置かれました。
国内の要地である京や難波(なにわ)の地には左・右京職(さ・うきょうしき)や摂津職(せっつしき)が置かれ、九州には大宰府(だざいふ)が置かれました。尚、国司は中央の貴族が6年(のち4年)の任期で派遣され、郡司や里長は在地の有力者が任命されました。



いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
さすらい こんにちは。
様々な国政の基盤ができたのですね。
色々な語句
受験生時代は必死で覚えました(笑)
応援♪
marihime 黒田さんこんにちは☆
いつもありがとうございます^^
寝不足とかはよくないですよ!
次回講座のためにも体調をベストにしておくことは大事なことヽ(*’-^*)。
アハハ母親みたいだーゴメン・・・(´_`illi)
ポチポチしていきますね!
あやね こんにちは!!(・∀・)
つい最近、世界史で律令体制を習ったのですごくタイムリーです!!(・∀・*)
でも学校の授業では雰囲気でなんとな~くしか分かっていなかったので・・・(⊃ω`泣)
すごく良い復習になりました(゚∀゚)☆
出た~
オバrev 大宝律令には改訂版があったんですか。
養老律令、聞き慣れない名前だ(^^;)
しかし、見事に国としての形が整備されてきてますね。
そしてこれを、天武天皇の子供と鎌足の子供が完成させたとは、天智天皇、天武天皇、藤原鎌足らの天皇中心の国作りへの思いは一緒だったんですね。
それにしてもいよいよ出ましたね藤原氏。
不比等は鎌足の子供だったんだ。この不比等から藤原氏の繁栄が始まるんでだろうか?
たろー 初めまして!
こみーさんの友達のたろーです
ボクのブログに来てくれてありがとうございます
歴史は結構好きです!
特に第二次大戦などもの凄く好きです
ぴーち こんばんは!
大宝律令。
今、頭の中で「バック・トゥー・ザ・フューチャー」の
テーマが流れたような気がしました(^^A
懐かしいワードです^^
しかしながら、その改訂版で「養老律令」という
ものが作られていたなんて、知りませんでした(@@
読んでて良かった丸印の「歴史講座」です!
それでは、応援で~す凸
さすらいさんへ
黒田裕樹 > 様々な国政の基盤ができたのですね。
律令体制の確立によって、様々な基盤ができました。中には、21世紀の現代にもその名を残すものがありますね。
> 色々な語句
> 受験生時代は必死で覚えました(笑)
私もその一人です(笑)。でも関連づけて覚えないと、すぐ忘れてしまうんですよね(^^ゞ
応援有難うございます!
marihimeさんへ
黒田裕樹 > いつもありがとうございます^^
> 寝不足とかはよくないですよ!
> 次回講座のためにも体調をベストにしておくことは大事なことヽ(*’-^*)。
全くそのとおりです。今日から早く寝よう…と思ったら、忙しくてこんな時間に返信しています…(´・ω・`)
> アハハ母親みたいだーゴメン・・・(´_`illi)
> ポチポチしていきますね!
色々とお気遣い、有難うございます!
あやねさんへ
黒田裕樹 > こんにちは!!(・∀・)
はい、こんにちは(^o^)丿
私のブログへようこそ!
> つい最近、世界史で律令体制を習ったのですごくタイムリーです!!(・∀・*)
> でも学校の授業では雰囲気でなんとな~くしか分かっていなかったので・・・(⊃ω`泣)
> すごく良い復習になりました(゚∀゚)☆
お役に立てて何よりです!
今回から3回くらいは高校の日本史の内容が続きますので、世界史の復習とともに、日本史の予習もして下さいね。
また是非お越し下さい!(^_^)v
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 大宝律令には改訂版があったんですか。
> 養老律令、聞き慣れない名前だ(^^;)
> しかし、見事に国としての形が整備されてきてますね。
「大宝」も「養老」も、実は年号が由来なんですよ。我が国では、「大宝」からは途切れることなく年号が続いています。それに合わせたかのように、律令政治も完成の域に達しているのは単なる偶然とは思えないですね。
> そしてこれを、天武天皇の子供と鎌足の子供が完成させたとは、天智天皇、天武天皇、藤原鎌足らの天皇中心の国作りへの思いは一緒だったんですね。
天智天皇にしても、天武天皇にしても、国に対する思いは変わりません。外交問題での不幸な対立が明暗を分けたのだと思われます。しかも、その明暗が「永遠に続いた訳ではない」のがまた歴史の不思議な一面でもあります。
> それにしてもいよいよ出ましたね藤原氏。
> 不比等は鎌足の子供だったんだ。この不比等から藤原氏の繁栄が始まるんでだろうか?
オバrevさんのお考えが果たして正しいのかどうか。8月にも始まる「奈良時代編」で明らかになると思います。予告だけしておきますと、「一筋縄ではいきません」。
たろーさんへ
黒田裕樹 > 初めまして!
> こみーさんの友達のたろーです
> ボクのブログに来てくれてありがとうございます
こんばんは!
こちらこそ、私のブログへようこそお越し下さいました。こみーさんのお知り合いだったんですね。
> 歴史は結構好きです!
> 特に第二次大戦などもの凄く好きです
そうなんですね。当ブログで第二次大戦を本格的に取り上げるのはかなり先になりそうですが、月に一度の講座では、いずれ取り上げてみたいと思っています。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 大宝律令は有名ですけど、養老律令は教科書でも正面から取り上げられることがなかなかありませんからね。でも、今回から紹介している律令体制の数々の「基本」は、実は養老律令から孫引きしているのがほとんどなんですよ(大宝律令が現存していないため)。
> 読んでて良かった丸印の「歴史講座」です!
旧字体をお使いになるとは…。回を重ねるごとに凝ってきてますね~(^^ゞ
私も負けていられないようです(笑)。
応援有難うございます!
東洋劇場 おはようございます!
微かな記憶を頼りに興味深く読ませていただいてます。
リンクをさせていただいてもよろしいですか?
☆
よろしくお願いします。
東洋劇場さんへ
黒田裕樹 ご訪問有難うございます。
リンクの件、喜んでお受けしますので、今後とも宜しくお願いいたします。
初めまして
ちびらこ こんばんは。
わたしは中3で、受験勉強まっさかりです!!
ちょっと変な質問なんですけど(^m^;)
国司・郡司・里長って
聖武天皇が送ったんですよね・・・?
ちびらこさんへ
黒田裕樹 はじめまして。当ブログへようこそ!
受験勉強頑張っていますか?
国司は奈良時代の聖武天皇よりも早く、中大兄皇子(後の天智天皇)の大化の改新の際に設置されたという記録がありますが、本格的には飛鳥時代末期の701年に制定された大宝律令によって整備されたと考えられています。郡司や里長も、同じく大宝律令によって本格的に整備されています。
また、記事にありますように国司は中央の貴族が6年(のち4年)の任期で派遣され、郡司や里長は在地の有力者が任命されています。
こんなところでいかがでしょうか?
また何でも質問して下さいね!(^^♪
今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m
様々な国政の基盤ができたのですね。
色々な語句
受験生時代は必死で覚えました(笑)
応援♪
いつもありがとうございます^^
寝不足とかはよくないですよ!
次回講座のためにも体調をベストにしておくことは大事なことヽ(*’-^*)。
アハハ母親みたいだーゴメン・・・(´_`illi)
ポチポチしていきますね!
つい最近、世界史で律令体制を習ったのですごくタイムリーです!!(・∀・*)
でも学校の授業では雰囲気でなんとな~くしか分かっていなかったので・・・(⊃ω`泣)
すごく良い復習になりました(゚∀゚)☆
養老律令、聞き慣れない名前だ(^^;)
しかし、見事に国としての形が整備されてきてますね。
そしてこれを、天武天皇の子供と鎌足の子供が完成させたとは、天智天皇、天武天皇、藤原鎌足らの天皇中心の国作りへの思いは一緒だったんですね。
それにしてもいよいよ出ましたね藤原氏。
不比等は鎌足の子供だったんだ。この不比等から藤原氏の繁栄が始まるんでだろうか?
こみーさんの友達のたろーです
ボクのブログに来てくれてありがとうございます
歴史は結構好きです!
特に第二次大戦などもの凄く好きです
大宝律令。
今、頭の中で「バック・トゥー・ザ・フューチャー」の
テーマが流れたような気がしました(^^A
懐かしいワードです^^
しかしながら、その改訂版で「養老律令」という
ものが作られていたなんて、知りませんでした(@@
読んでて良かった丸印の「歴史講座」です!
それでは、応援で~す凸
律令体制の確立によって、様々な基盤ができました。中には、21世紀の現代にもその名を残すものがありますね。
> 色々な語句
> 受験生時代は必死で覚えました(笑)
私もその一人です(笑)。でも関連づけて覚えないと、すぐ忘れてしまうんですよね(^^ゞ
応援有難うございます!
> 寝不足とかはよくないですよ!
> 次回講座のためにも体調をベストにしておくことは大事なことヽ(*’-^*)。
全くそのとおりです。今日から早く寝よう…と思ったら、忙しくてこんな時間に返信しています…(´・ω・`)
> アハハ母親みたいだーゴメン・・・(´_`illi)
> ポチポチしていきますね!
色々とお気遣い、有難うございます!
はい、こんにちは(^o^)丿
私のブログへようこそ!
> つい最近、世界史で律令体制を習ったのですごくタイムリーです!!(・∀・*)
> でも学校の授業では雰囲気でなんとな~くしか分かっていなかったので・・・(⊃ω`泣)
> すごく良い復習になりました(゚∀゚)☆
お役に立てて何よりです!
今回から3回くらいは高校の日本史の内容が続きますので、世界史の復習とともに、日本史の予習もして下さいね。
また是非お越し下さい!(^_^)v
> 養老律令、聞き慣れない名前だ(^^;)
> しかし、見事に国としての形が整備されてきてますね。
「大宝」も「養老」も、実は年号が由来なんですよ。我が国では、「大宝」からは途切れることなく年号が続いています。それに合わせたかのように、律令政治も完成の域に達しているのは単なる偶然とは思えないですね。
> そしてこれを、天武天皇の子供と鎌足の子供が完成させたとは、天智天皇、天武天皇、藤原鎌足らの天皇中心の国作りへの思いは一緒だったんですね。
天智天皇にしても、天武天皇にしても、国に対する思いは変わりません。外交問題での不幸な対立が明暗を分けたのだと思われます。しかも、その明暗が「永遠に続いた訳ではない」のがまた歴史の不思議な一面でもあります。
> それにしてもいよいよ出ましたね藤原氏。
> 不比等は鎌足の子供だったんだ。この不比等から藤原氏の繁栄が始まるんでだろうか?
オバrevさんのお考えが果たして正しいのかどうか。8月にも始まる「奈良時代編」で明らかになると思います。予告だけしておきますと、「一筋縄ではいきません」。
> こみーさんの友達のたろーです
> ボクのブログに来てくれてありがとうございます
こんばんは!
こちらこそ、私のブログへようこそお越し下さいました。こみーさんのお知り合いだったんですね。
> 歴史は結構好きです!
> 特に第二次大戦などもの凄く好きです
そうなんですね。当ブログで第二次大戦を本格的に取り上げるのはかなり先になりそうですが、月に一度の講座では、いずれ取り上げてみたいと思っています。
> 読んでて良かった丸印の「歴史講座」です!
旧字体をお使いになるとは…。回を重ねるごとに凝ってきてますね~(^^ゞ
私も負けていられないようです(笑)。
応援有難うございます!
微かな記憶を頼りに興味深く読ませていただいてます。
リンクをさせていただいてもよろしいですか?
☆
よろしくお願いします。
リンクの件、喜んでお受けしますので、今後とも宜しくお願いいたします。
わたしは中3で、受験勉強まっさかりです!!
ちょっと変な質問なんですけど(^m^;)
国司・郡司・里長って
聖武天皇が送ったんですよね・・・?
受験勉強頑張っていますか?
国司は奈良時代の聖武天皇よりも早く、中大兄皇子(後の天智天皇)の大化の改新の際に設置されたという記録がありますが、本格的には飛鳥時代末期の701年に制定された大宝律令によって整備されたと考えられています。郡司や里長も、同じく大宝律令によって本格的に整備されています。
また、記事にありますように国司は中央の貴族が6年(のち4年)の任期で派遣され、郡司や里長は在地の有力者が任命されています。
こんなところでいかがでしょうか?
また何でも質問して下さいね!(^^♪
今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m