まず内政面においてですが、蘇我氏による横暴を打開するためには最終的に朝廷がすべての土地や人民を所有する公地公民制(こうちこうみんせい)を目指(めざ)すという思い切った改革(かいかく)を行うしかないと決断しました。しかし、現状(げんじょう)でいきなり大ナタをふるえば蘇我氏などの豪族の猛反発(もうはんぱつ)を受けるのは必至(ひっし、必ずそうなること)であり、慎重(しんちょう)な手続きが必要であるとも同時に考えていました。
また、外交面においては何よりも大国である隋の実力を知ることが重要であると考えた聖徳太子は、600年に初めて遣隋使(けんずいし)を送ったほか、高句麗の高僧(こうそう)であった恵慈(えじ)などから東アジアにおける国際情勢を学びました。ちなみに恵慈は熱心な仏教徒であった聖徳太子によって我が国で仏教を広めるために高句麗から招(まね)かれたのですが、仏教を学ぶことは当時の最先端(さいせんたん)の情報や技術を入手する意味も込められていました。
こうして我が国の内政あるいは外交における立ち位置を正確につかんだ聖徳太子は、まずは内政面において大胆(だいたん)な政治改革を断行(だんこう)することになるのです。





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ぴーち おはようございます!
今何が国内で起きていて、まず何をするべきかを
慎重に見極めて判断する事こそ国の情勢を安定させることへの第一歩なのでしょうね。
仏の教えの基本は慈愛の心ですので、
例えば相手に対していつまでも憎しみ持ち、怒りの炎を燃やし続けるのではなく、相手を赦すエネルギーを精一杯燃やしていきたいものですね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 今何が国内で起きていて、まず何をするべきかを
> 慎重に見極めて判断する事こそ国の情勢を安定させることへの第一歩なのでしょうね。
仰るとおりです。
その意味においても聖徳太子がとった対策は万全でしたね。
> 仏の教えの基本は慈愛の心ですので、
> 例えば相手に対していつまでも憎しみ持ち、怒りの炎を燃やし続けるのではなく、相手を赦すエネルギーを精一杯燃やしていきたいものですね。
国内においてはその精神で間違いありません。
ただし(内政面を含む)対外的な問題に関しては、それだけでは通用しない時もあるのが現実でもあります。
聖徳太子の内政・外交策をじっくりとご覧いただいて、彼の「凄み」をご理解くださればと思います。
ぴーち おはようございます!
仰るとおり、相手を赦すという事は非常に難しい事ですし、私達凡人がその境地に達するには、様々な心の葛藤を経験し、苦しみ抜いてようやくたどり着く最上階の次元の心境だと思います。
我が国にはそれが理解出来る方が多くても、
他の国はまだまだ精神的に豊かになるまでには道半ばで、そう簡単には
理解されないことが多いでしょう。
ですので、そういう国に崇高な考えを語っても
馬耳東風でしょうから、こちらが次元を引き下げて相手と同等のレベルで対話しなけばなりませんよね。
経済的に豊かになることと、精神的に豊かになることはまるで違うように、経済的に豊かだからそこに住む人々が豊かだとは限りません。むしろ、正反対に下降して行くものかも知れません。
精神的に次元の高い国が、低い国と上手く共存し歩調を合わせていくには、我が国から階下に降りて行かなければいけない場合が多いので、世話が焼ける話ばかりです。
応援凸
ぴーちさんへ その2
黒田裕樹 仰るとおりであると私も思います。
現代の私たちが対外的にどのような行動をとるべきなのかを、聖徳太子の実績を鑑みながらじっくりと考察したいものです。
今何が国内で起きていて、まず何をするべきかを
慎重に見極めて判断する事こそ国の情勢を安定させることへの第一歩なのでしょうね。
仏の教えの基本は慈愛の心ですので、
例えば相手に対していつまでも憎しみ持ち、怒りの炎を燃やし続けるのではなく、相手を赦すエネルギーを精一杯燃やしていきたいものですね。
応援凸
> 慎重に見極めて判断する事こそ国の情勢を安定させることへの第一歩なのでしょうね。
仰るとおりです。
その意味においても聖徳太子がとった対策は万全でしたね。
> 仏の教えの基本は慈愛の心ですので、
> 例えば相手に対していつまでも憎しみ持ち、怒りの炎を燃やし続けるのではなく、相手を赦すエネルギーを精一杯燃やしていきたいものですね。
国内においてはその精神で間違いありません。
ただし(内政面を含む)対外的な問題に関しては、それだけでは通用しない時もあるのが現実でもあります。
聖徳太子の内政・外交策をじっくりとご覧いただいて、彼の「凄み」をご理解くださればと思います。
仰るとおり、相手を赦すという事は非常に難しい事ですし、私達凡人がその境地に達するには、様々な心の葛藤を経験し、苦しみ抜いてようやくたどり着く最上階の次元の心境だと思います。
我が国にはそれが理解出来る方が多くても、
他の国はまだまだ精神的に豊かになるまでには道半ばで、そう簡単には
理解されないことが多いでしょう。
ですので、そういう国に崇高な考えを語っても
馬耳東風でしょうから、こちらが次元を引き下げて相手と同等のレベルで対話しなけばなりませんよね。
経済的に豊かになることと、精神的に豊かになることはまるで違うように、経済的に豊かだからそこに住む人々が豊かだとは限りません。むしろ、正反対に下降して行くものかも知れません。
精神的に次元の高い国が、低い国と上手く共存し歩調を合わせていくには、我が国から階下に降りて行かなければいけない場合が多いので、世話が焼ける話ばかりです。
応援凸
現代の私たちが対外的にどのような行動をとるべきなのかを、聖徳太子の実績を鑑みながらじっくりと考察したいものです。