その間に義輝の弟の足利義昭(あしかがよしあき)が織田信長(おだのぶなが)によって上洛を果たすと、久秀が信長に降伏(こうふく)して同1568年10月に義昭が新たに15代将軍となりました。なお、将軍を追われた義栄は失意のうちに間(ま)もなく亡くなっています。
義昭は自分を将軍にしてくれた信長に深く感謝し、管領もしくは副将軍(ふくしょうぐん)になるよう勧(すす)めましたが、信長はいずれも辞退して、代わりに堺(さかい)を含む和泉(いずみ、現在の大阪府南西部)の支配を認めさせました。
地位や名誉(めいよ)を欲しがらない信長の意外な行動を周囲は不思議に感じましたが、いわゆる「名よりも実を取った」信長の行為の裏(うら)には彼によるしたたかな計算があったのです。





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ぴーち おはようございます!
いよいよここで信長の話が登場ですね!
どんなしたたかな野望がこの当時の信長には
あったのでしょうか・・興味があります。
続きを楽しみにしています♪
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、室町幕府の末期でついいに信長が登場しました。
彼と幕府との関わりが結果として室町将軍の幕引きになるわけですが、そのあたりは次回(21日)の更新をぜひご確認ください。
足利義昭の能力
青田です。 黒田先生
こんにちは
青田です。
この織田信長に目を付けた足利義昭は、凄いと思います。
というのも、
それまで、将軍の権威を利用しようと後ろ盾になったのは、
名門の大名だったのに、この当時の織田信長は、
京都から、離れた身分も低い
美濃、尾張を統治する単なる田舎大名です。
しかも、織田信長が凄いのは、京都に入っても
一切の略奪行為を禁止して、京都の治安維持に努めたことです。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおり、義昭は決して凡人ではありません。
信長包囲網は信玄さえ死ななければ完成していた可能性もありますから。
しかしながら、義昭は稀代の天才である信長と同時代であったというのが不運すぎましたね。
それが時の流れの選択でもあったのでしょうけれども。
信長包囲網
青田です。 黒田先生
こんにちは
青田です。
信長包囲網について、第一次信長包囲網、
第二次信長包囲網を創りましたが、
ドラマでは、信長が困難を勇断に乗り切り、
足利義昭は、最後まで、愚かな無能将軍のように
描かれますが、
信長包囲網の時、織田信長は、非常に気が弱くなっていました。
その当時の手紙でも
『気が弱い内容ばかりです。』
織田信長の能力は、認めますが、運も良かったですね。
これは、歴史のifですが、もし、織田信長がいなければ、足利義昭の力で、室町幕府は、延命したかもしれませんね。
青田さんへ その2
黒田裕樹 今回は信長ではなく室町幕府の講座ですので筋違いの話になりますが、仰るとおりかと思います。
いよいよここで信長の話が登場ですね!
どんなしたたかな野望がこの当時の信長には
あったのでしょうか・・興味があります。
続きを楽しみにしています♪
応援凸
彼と幕府との関わりが結果として室町将軍の幕引きになるわけですが、そのあたりは次回(21日)の更新をぜひご確認ください。
こんにちは
青田です。
この織田信長に目を付けた足利義昭は、凄いと思います。
というのも、
それまで、将軍の権威を利用しようと後ろ盾になったのは、
名門の大名だったのに、この当時の織田信長は、
京都から、離れた身分も低い
美濃、尾張を統治する単なる田舎大名です。
しかも、織田信長が凄いのは、京都に入っても
一切の略奪行為を禁止して、京都の治安維持に努めたことです。
信長包囲網は信玄さえ死ななければ完成していた可能性もありますから。
しかしながら、義昭は稀代の天才である信長と同時代であったというのが不運すぎましたね。
それが時の流れの選択でもあったのでしょうけれども。
こんにちは
青田です。
信長包囲網について、第一次信長包囲網、
第二次信長包囲網を創りましたが、
ドラマでは、信長が困難を勇断に乗り切り、
足利義昭は、最後まで、愚かな無能将軍のように
描かれますが、
信長包囲網の時、織田信長は、非常に気が弱くなっていました。
その当時の手紙でも
『気が弱い内容ばかりです。』
織田信長の能力は、認めますが、運も良かったですね。
これは、歴史のifですが、もし、織田信長がいなければ、足利義昭の力で、室町幕府は、延命したかもしれませんね。