しかし、義尚は1489年に25歳の若さで子のないまま死亡してしまい、義視の子の足利義材(あしかがよしき)が後継者として1490年に10代将軍となりました。
義材は義視の子であり、また義視は富子と激(はげ)しく対立して応仁の乱が起こったのですから、義材の将軍就任によって富子は当然のように権力を失ったと誰しもが思いますよね。ところが実際にはそうはなりませんでした。
なぜなら、義材の母(=義視の妻)が富子の実の妹だったからです。応仁の乱のはるか以前にかけていた「保険」によって富子の権力は温存されるとともに、夫と子を失ったことで富子は蓄財と権力の保持にますます力を入れるようになりました。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
オバrev 日野富子って凄いですね(*_*;
義政と富子の立場が入れ替わっていたら室町幕府も安泰だったんじゃないでしょうか?
それにしても日本史的にはあまり陽の目をみないこの時代ですが、失敗が重なった反面教師的観点から色々学ぶべき事が多いかもしれません。
ぴーち おはようございます!
保険ですか(苦笑)
やはりその時は無駄な事だと思っていても
後々それがどんな形で助けられるかわかりませんものね。
私も違う意味で、今高い保険料を支払い中です(笑)
それが無意味なことか、或いは後々生きてくるかはわかりませんが・・(^^ゞ
応援凸
オバrevさんへ
黒田裕樹 確かに入れ替わった方が良かったかもしれませんね(^^ゞ
仰るとおり地味な時代ではありますが、学ぶべきことは多いと思います。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 確かに「保険」をかけていた方が何かと生きてくることが多いですかなね。
たとえ無意味で終わったとしてもそのメリットは大きいと思います。
義政と富子の立場が入れ替わっていたら室町幕府も安泰だったんじゃないでしょうか?
それにしても日本史的にはあまり陽の目をみないこの時代ですが、失敗が重なった反面教師的観点から色々学ぶべき事が多いかもしれません。
保険ですか(苦笑)
やはりその時は無駄な事だと思っていても
後々それがどんな形で助けられるかわかりませんものね。
私も違う意味で、今高い保険料を支払い中です(笑)
それが無意味なことか、或いは後々生きてくるかはわかりませんが・・(^^ゞ
応援凸
仰るとおり地味な時代ではありますが、学ぶべきことは多いと思います。
たとえ無意味で終わったとしてもそのメリットは大きいと思います。