また、応仁の乱の頃(ころ)から大名の兵力の中心となった足軽(あしがる)の存在が目立ち始めました。足軽は主に金銭面のみで大名とつながっていることが多かったために忠誠心(ちゅうせいしん)が薄(うす)く、このため各地で暴徒化(ぼうとか)して掠奪(りゃくだつ)を繰(く)り返しました。
さらには守護大名が京都で戦っている隙をつくかたちで各大名の領国では守護代や国人たちが力を伸ばし、大名から領国の支配権を奪(うば)っていきました。こうして身分の下の者が上の者の勢力をしのぐ下剋上(げこくじょう)が本格的に始まり、世は戦国時代を迎えることになりました。
なお、戦国時代においても室町幕府そのものは健在でしたが、幕府が持っていた権力が本拠地(ほんきょち)の山城を除(のぞ)いてほとんどなくなった一方で、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)としての形ばかりの「権威」が皮肉にも強調されることになってしまうのです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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青田です。 黒田先生
こんにちは
青田です。
日本人は、『戦国時代』の話は、好きですが
『応仁の乱』をあまり、興味ないように思いますが、
しかし、
どうして、『戦国時代』になったかの根本原因を知ることのほうが、
『自分勝手主義』による『何の意味もない内部抗争』がいかに
『組織』を弱体化させるかは、現代にも十分通じる教訓ですね。
これは、『国力の弱体化』にも繋がり、もし、このタイミングで、外国から、攻め込めまれていたら、日本も危なかったと思います。
せめてもの、救いは、この時期に外国から、攻められなかったことですね。
逆に
現代は、表面的には、平和で、静かな今の日本も
『自分勝手主義』で、国力が弱くなっていて、外国に攻められている気がしますが。。
青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
国内の乱れは外国からの侵略の呼び水となります。
今回の論点とはズレますが、外国の意思にいち早く気付いた秀吉のような為政者がいなければ危なかったかもしれません。
オバrev 室町幕府の実権は、既に応仁の乱が終結した時点でなくなっていたということは、その後の戦国時代は無政府状態だったということですよね。
むしろこの戦国の乱世を室町時代と呼ばず、別の言い方はないですかね?
オバrevさんへ
黒田裕樹 仰るとおり無政府状態です。
だからこそ「力ある者が正義」の何でもありの戦国時代と化してしまいました。
呼び名についてですが、幕府を基本とする限りは室町時代としか称しようがないのかもしれませんね。
ぴーち おはようございます!
皆、上ばかりを見つめていて、周りの人間や配下にいる人間の存在を無視し、礼節を弁えない生き方をするといづれは足元を掬われてしまうのでしょうね。
個人主義、あるいは私利私欲にまみれて心の付き合いを無くした世の中は、軽くつついただけで
パッとはじけて消える様なシャボン玉にも似ているように思います。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりだと思います。
人間の本質をついている時代でもありますよね。
こんにちは
青田です。
日本人は、『戦国時代』の話は、好きですが
『応仁の乱』をあまり、興味ないように思いますが、
しかし、
どうして、『戦国時代』になったかの根本原因を知ることのほうが、
『自分勝手主義』による『何の意味もない内部抗争』がいかに
『組織』を弱体化させるかは、現代にも十分通じる教訓ですね。
これは、『国力の弱体化』にも繋がり、もし、このタイミングで、外国から、攻め込めまれていたら、日本も危なかったと思います。
せめてもの、救いは、この時期に外国から、攻められなかったことですね。
逆に
現代は、表面的には、平和で、静かな今の日本も
『自分勝手主義』で、国力が弱くなっていて、外国に攻められている気がしますが。。
国内の乱れは外国からの侵略の呼び水となります。
今回の論点とはズレますが、外国の意思にいち早く気付いた秀吉のような為政者がいなければ危なかったかもしれません。
むしろこの戦国の乱世を室町時代と呼ばず、別の言い方はないですかね?
だからこそ「力ある者が正義」の何でもありの戦国時代と化してしまいました。
呼び名についてですが、幕府を基本とする限りは室町時代としか称しようがないのかもしれませんね。
皆、上ばかりを見つめていて、周りの人間や配下にいる人間の存在を無視し、礼節を弁えない生き方をするといづれは足元を掬われてしまうのでしょうね。
個人主義、あるいは私利私欲にまみれて心の付き合いを無くした世の中は、軽くつついただけで
パッとはじけて消える様なシャボン玉にも似ているように思います。
応援凸
人間の本質をついている時代でもありますよね。