緒戦(しょせん)の戦いは山名氏に優位に展開しましたが、細川氏が巻(ま)き返して将軍義政を保護したことで東軍の優勢(ゆうせい)となりました。しかし、今度は山名氏が守護大名の大内政弘(おおうちまさひろ)に声をかけて京都へと攻めのぼらせるなど、両軍は一進一退(いっしんいったい)の戦いを続けました。
そんな折(おり)、応仁の乱のきっかけをつくった当事者たちに異変が起きました。将軍義政の弟である義視は東軍の細川氏についていましたが、細川氏が義政を迎え入れた後に義視の政敵(せいてき)である伊勢貞親(いせさだちか)が再び重用(ちょうよう)されたことに反発して出奔(しゅっぽん、逃げ出して行方をくらますこと)しました。
翌1468年に一旦(いったん)は京都へ戻(もど)ったものの再び出奔した義視は、こともあろうにライバルの義尚を支持していた西軍の山名氏へと身を投じました。これは将軍を奪(うば)われて大義名分(たいぎめいぶん)を失っていた山名宗全が巻き返しの手段として義視を迎えたためと考えられており、事実、この後山名氏は義視を「将軍格」として様々な人事を発令しています。





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オバrev えっ、えぇ~!
義視が細川から山名に寝返った(゜o゜;
ということは、元々の原因であった義視と義尚の対立はどうなるんですか?
頭がこんがらがって来ました(*_*;
ぴーち おはようございます!
山名氏と細川氏の戦いも、義視の存在がキーワードになっていたのですね。
彼を敵に回してしまった方が、本来、戦うべき宿敵と戦わずして敗者となってしまった様な展開ですね。(^_^;)
応援凸
オバrevさんへ
黒田裕樹 講演した私も実際頭がこんがらがってくるややこしさです(^^ゞ
そもそも何のために戦ってきたのでしょうか。
ちなみに2人の対立関係は、そのままそっくり入れかわることになります(詳細は次回で明らかにします)。
ぴーちさんへ
黒田裕樹 義視の存在が仰る通りカギを握っていました。
ただ、義視は義政から逃げてしまったことで、結果的に自ら「敗者」となってしまったという方が良いかもしれません。
しかし、それはあくまで「応仁の乱」に限定した話でして…(詳しくは後日の更新で明らかにします)。
義視が細川から山名に寝返った(゜o゜;
ということは、元々の原因であった義視と義尚の対立はどうなるんですか?
頭がこんがらがって来ました(*_*;
山名氏と細川氏の戦いも、義視の存在がキーワードになっていたのですね。
彼を敵に回してしまった方が、本来、戦うべき宿敵と戦わずして敗者となってしまった様な展開ですね。(^_^;)
応援凸
そもそも何のために戦ってきたのでしょうか。
ちなみに2人の対立関係は、そのままそっくり入れかわることになります(詳細は次回で明らかにします)。
ただ、義視は義政から逃げてしまったことで、結果的に自ら「敗者」となってしまったという方が良いかもしれません。
しかし、それはあくまで「応仁の乱」に限定した話でして…(詳しくは後日の更新で明らかにします)。