確かに一揆勢の主体は農民でしたが、実は彼らは地侍(じざむらい、守護大名などと主従関係を結んで武士の身分を得た者のこと)の指導の下(もと)に動いていました。地侍たちは、支配者層にも徳政令の範囲を広げて彼らに「恩(おん)を売る」かたちにしておけば、徳政令発布(はっぷ)後に処罰(しょばつ)されることはないであろうと計算していたと考えられています。
一揆勢の要求に幕府は困惑(こんわく)しましたが、ただでさえ兵力が不足しているうえに有力守護大名たちの考えがバラバラではどうすることもできません。結局幕府は「山城(やましろ)一国に限定した完全な徳政令」を発布せざるを得ませんでしたが、この結果に今度は大寺社、特に比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)が激怒(げきど)しました。
なぜなら、徳政令には大寺社が寄進(きしん)という名の下に人々から財産を取り上げていたのを返還(へんかん)するように書いていたからです。延暦寺は神輿(しんよ)を担(かつ)いで幕府に強訴(ごうそ)し、徳政令の対象から寺社を無理やり外すことに成功しました。
こうして徳政令の発布によって幕府は金融業者(きんゆうぎょうしゃ)などからの信頼を失うとともに、かつて義教が苦労して抑(おさ)え付けていた圧力団体としての宗教勢力の復活をも招(まね)いてしまったのです。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
この話は、人間の愚かさを知るのに非常に勉強になります。
◆ 自分の欲望のことしか考えてない。
◆ 押せば引くと思えば、どんどん要求が高まり、我儘し放題。
◆ 強い者には、弱く、弱い者には、強い。
↓
行き当たりバッタリの目先の利益で、何の目的も長期的ビジョンも全くない。
軸(タガ)がなくなった国の末路を観るのは
今の日本を考えるうえで、非常にイイ勉強になりますね。
ただ、唯一の救いは、この時代、室町幕府の奉公衆として、仕えていた北条早雲が、
『この醜い社会』を教訓にして、後に
関東に理想の王国(類まれなる善政)を敷いてことだと思います。
(敵には容赦なく、領民・家臣には、慈悲の心で)
管理人のみ閲覧できます
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青田さんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
今の日本と同じように感じるのは私だけでしょうか。
この状態から何かを学ぶ人々が現れればよいのですが…。
ぴーち おはようございます!
こうして伺っていると、主体性に欠けた政治といのは、思いもよらぬ方向へのてん末が待ち受けているのですね。
確かに現代もそうですよね。
打倒与党という事しか頭に無く、いざ
政権を担う事になったは良いですが、その先の行き先までは考えが及ばなかった・・
挙句の果てに何があったかは存じませんが、
責任逃れの為に簡単に自らの命を断つ者まで出てくるとは、政府の掲げる自殺防止対策にドロを塗るつもりなのか・・いかに政治家は自分の保身の事だけしか思いを巡らせていないか、国民の事などまるで考えていない事が伺い知れます。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
スタートからしてとんでもない話が続出していましたから、今さら何が起きてもおかしくないと思ってしまった自分自身にも違和感を覚えます。
室町時代もそんな思いが積もり積もってますます悪化したのでしょう。
こんばんは
青田です。
この話は、人間の愚かさを知るのに非常に勉強になります。
◆ 自分の欲望のことしか考えてない。
◆ 押せば引くと思えば、どんどん要求が高まり、我儘し放題。
◆ 強い者には、弱く、弱い者には、強い。
↓
行き当たりバッタリの目先の利益で、何の目的も長期的ビジョンも全くない。
軸(タガ)がなくなった国の末路を観るのは
今の日本を考えるうえで、非常にイイ勉強になりますね。
ただ、唯一の救いは、この時代、室町幕府の奉公衆として、仕えていた北条早雲が、
『この醜い社会』を教訓にして、後に
関東に理想の王国(類まれなる善政)を敷いてことだと思います。
(敵には容赦なく、領民・家臣には、慈悲の心で)
今の日本と同じように感じるのは私だけでしょうか。
この状態から何かを学ぶ人々が現れればよいのですが…。
こうして伺っていると、主体性に欠けた政治といのは、思いもよらぬ方向へのてん末が待ち受けているのですね。
確かに現代もそうですよね。
打倒与党という事しか頭に無く、いざ
政権を担う事になったは良いですが、その先の行き先までは考えが及ばなかった・・
挙句の果てに何があったかは存じませんが、
責任逃れの為に簡単に自らの命を断つ者まで出てくるとは、政府の掲げる自殺防止対策にドロを塗るつもりなのか・・いかに政治家は自分の保身の事だけしか思いを巡らせていないか、国民の事などまるで考えていない事が伺い知れます。
応援凸
スタートからしてとんでもない話が続出していましたから、今さら何が起きてもおかしくないと思ってしまった自分自身にも違和感を覚えます。
室町時代もそんな思いが積もり積もってますます悪化したのでしょう。