しかしながら、たとえ強引な手法であったとしても世の中をそれなりにまとめていた将軍がいなくなったことで、守護大名はおろかその下の守護代(しゅごだい)も含(ふく)めて、まるで箍(たが)が外れた桶(おけ)のように各自(かくじ)がバラバラに行動を始めてしまい、収拾(しゅうしゅう)がつかなくなってしまうのでした。
そんな幕府の試練は義教暗殺後に早速訪(おとず)れました。嘉吉の乱(かきつのらん)で義教を殺害した赤松満祐(あかまつみつすけ)を討伐(とうばつ)するために幕府軍が遠征(えんせい)した隙(すき)をついて、多数の農民が京都を占拠(せんきょ、ある場所を占有して他人を寄せつけないこと)して将軍の「代始(だいはじ)めの徳政(とくせい)」を要求したのです。これは当時の年号から嘉吉の徳政一揆(かきつのとくせいいっき)と呼(よ)ばれています。
幕府の管領(かんれい)であった細川持之(ほそかわもちゆき)は高利貸(こうりが)しの土倉(どそう)から賄賂(わいろ)を受け取っていたため、一揆勢(いっきぜい)の要求を無視して鎮圧(ちんあつ)するつもりでした。しかし、彼の意見は他の守護大名に聞き入れられず、結局は一揆勢との話し合いに応じざるを得なくなったのです。
「箍が外れた桶」状態の室町幕府には、もはや強引な政策は不可能だったのでした。しかも、一揆勢との交渉(こうしょう)によって幕府は更(さら)なる難題(なんだい)を抱(かか)え込(こ)むことになってしまうのです。





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ぴーち おはようございます!
例えそれが人々を恐怖のどん底に陥れるような独裁者であったとしても、その度合が強ければ強いほど、その緊縛が溶けた時には、一気に流れこむ開放感と同時に、そこからどうすれば良いのかという指針を見失い、人々は路頭に迷うことになるのでしょうね。
人間は人から指示や強制を受けると、疎ましく思う反面、それらの指示がいざなくなると困惑する。かごの中の鳥は自由を夢見ているうちが花なのかも知れません。それに人は誰かに従って生きている間というのは、余程の反発さえしなければ、案外幸せで気楽な日々を送ることが出来ているのかも知れませんね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
イラクにフセイン大統領が存在した頃は暗黒の時代と言われていますが、フセイン亡き後のイラクの混乱状態を思うと、彼が統治していた方が良かったと思える人が多いかもしれません。
例えそれが人々を恐怖のどん底に陥れるような独裁者であったとしても、その度合が強ければ強いほど、その緊縛が溶けた時には、一気に流れこむ開放感と同時に、そこからどうすれば良いのかという指針を見失い、人々は路頭に迷うことになるのでしょうね。
人間は人から指示や強制を受けると、疎ましく思う反面、それらの指示がいざなくなると困惑する。かごの中の鳥は自由を夢見ているうちが花なのかも知れません。それに人は誰かに従って生きている間というのは、余程の反発さえしなければ、案外幸せで気楽な日々を送ることが出来ているのかも知れませんね。
応援凸
イラクにフセイン大統領が存在した頃は暗黒の時代と言われていますが、フセイン亡き後のイラクの混乱状態を思うと、彼が統治していた方が良かったと思える人が多いかもしれません。