島国である我が国は、朝鮮半島に強力な独立国が存在している間は、中国などの他国からの侵略を受けずに済んできたのです。今回の例も、まさにその原則どおりとなりました。
ただ、我が国がその原則どおりに行動できた条件の一つに、新羅との友好関係が挙げられます。百済との同盟関係が深かった我が国にとって、それまでの外交策を180度転換させるような政策は、そう簡単にできるものではありませんでした。
しかし、実際に7世紀後半には遣唐使が行われないかわりに、遣新羅使(けんしらぎし)が短期間に何度も行われているのです。我が国がそこまでの政策転換ができた理由は何だったのでしょうか?
そこには、白村江の戦いの後の外交路線を「反新羅」でいくのか、あるいは「親新羅」でいくのかで対立した「兄弟」による骨肉の争いがありました。



いつも有難うございます。
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さすらい こんにちは。
いつも勉強になります。
新羅の歴史もまた日本と関係していくのですね。
祝辞ありがとうございます。
これからもお互い頑張りましょう。
応援♪
MAHHYA ある意味、日本は朝鮮半島に守られ続けていたのですね。
恩をあだで返すようなことをした、歴史的なさまざまな事実は、消せませんね(>_<)
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遣新羅使
オバrev 遣新羅使はやはりあったんですね。
実は、私の故郷の町は万葉の里と呼ばれており、万葉集に我が町を詠んだ歌が載っています。
それは736年頃に遣新羅使が風早で船泊まりした時のものです。
遣新羅使じゃなくて、遣唐使じゃないのかとずっと思ってましたが、疑問が晴れましたv( ̄▽ ̄)v イエイ
難波港を出発するときに妻が送った歌への返しとして詠んだそうです。
「わが故に 妹嘆くらし 風早の 浦の沖辺に 霧たなびけり 」 (巻15-3615)
(私がこうして旅にでているので、今頃妻は嘆いているんだろう 風早の港にたなびいている霧はまるで妻の吐息のようだ)
妻が送った歌は以下です。
「君が行く 海辺の宿に 霧立たば 我が立ち嘆く 息と知りませ」 (巻15-3580)
(あなたがこれから遠くへ旅立つ途中の海辺の宿で もし霧が立ったなら、あなたを恋して嘆いている私の吐息と思ってください)
昔の人は風流ですねぇ( ´Д`)=3
さて親新羅となるのか、反新羅となるのか、大きな分かれ目ですね。
さすらいさんへ
黒田裕樹 こちらこそ応援いつも有難うございます。
朝鮮半島に生き残った新羅と我が国とは、この後も「浅からぬ因縁」の関係が続きます。
今後も是非ご覧いただければと思います。
MAHHYAさんへ
黒田裕樹 朝鮮半島に存在する独立国が、我が国の防波堤となったのは事実です。
そのために、我が国と朝鮮半島との間には、綺麗事では済まされない関係が続いてきました。
権謀術数、深慮遠謀、遠交近攻…。時には多くの血が流されたこともありました。
しかしそれは、我が国と朝鮮半島の独立国のそれぞれが、お互いの国の為と信じて、あらゆる手段を尽くして争ってきた結果なのです。
現代に生きる私たちは、祖国でもある日本という国で幸せに暮らしています。この幸福は、多くの先祖の方々の願いと、血のにじむような努力の結晶でもあります。
「恩」や「仇」という、現代の価値観から物事を見ることは間違ってはおりません。しかし、先祖に感謝し、次代にこの国を引き継ぐ使命のある私たちは、祖先の行動を断罪するばかりでなく、その生き様や努力から、数多くの勇気と希望を持ちたいものであると、私は常々考えております。
今後とも宜しくお願い致します。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 遣新羅使はやはりあったんですね。
遣新羅使は高校のほとんどの教科書にも記載がありませんからね。新羅と我が国の関係を探るうえでも大事な事実なのですが…。
> 昔の人は風流ですねぇ( ´Д`)=3
物事をストレートに表すのが当たり前になってしまった今の世の中にはない婉曲な表現がいいですよねぇ。
> さて親新羅となるのか、反新羅となるのか、大きな分かれ目ですね。
明日から早速…といきたいところですが、少しだけ回り道をします(笑)。
管理人のみ閲覧できます
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これらの事実から
h.hamauzu おはようございます!
現在に至るまで、これらの国々と、わが国は
「ただならぬ関係」が続いていますね。
ただ、お互いに言い分はあるでしょう。
ここは過去に学び、
価値観が違うことをまずは認め合えるようになり、
そこから先へ進んで欲しいと思います。
いつまでもお互い仮想敵国じゃ~ね♪
だれか第三者がもうかっちゃいそうですw
h.hamauzuさんへ
黒田裕樹 仰ること、まさにそのとおりだと思います。
価値観や歴史観の違いは如何とも出来ませんし、いがみ合いが続けば、それこそ「漁夫の利」でしょう。
どちらかにおもねるのではなく、言いたいことが言える「大人の関係」でありたいものです。
当時の我が国と新羅の関係のように…。
東洋劇場 おはようございます!
毎日、楽しみに読ましていただいてます。
恥ずかしながら、遣新羅使はじめて知りました。
夏本番となりました
くれぐれもご自愛ください。
東洋劇場さんへ
黒田裕樹 > 毎日、楽しみに読ましていただいてます。
有難うございます!(^o^)丿
> 恥ずかしながら、遣新羅使はじめて知りました。
いえいえ、他の方からのコメ返でも書きましたが、重要な遣新羅使を教えない歴史教育にも問題があると思いますよ。
> 夏本番となりました
> くれぐれもご自愛ください。
お気遣い有難うございます。東洋劇場さんもお気を付け下さいませ。
いつも勉強になります。
新羅の歴史もまた日本と関係していくのですね。
祝辞ありがとうございます。
これからもお互い頑張りましょう。
応援♪
恩をあだで返すようなことをした、歴史的なさまざまな事実は、消せませんね(>_<)
実は、私の故郷の町は万葉の里と呼ばれており、万葉集に我が町を詠んだ歌が載っています。
それは736年頃に遣新羅使が風早で船泊まりした時のものです。
遣新羅使じゃなくて、遣唐使じゃないのかとずっと思ってましたが、疑問が晴れましたv( ̄▽ ̄)v イエイ
難波港を出発するときに妻が送った歌への返しとして詠んだそうです。
「わが故に 妹嘆くらし 風早の 浦の沖辺に 霧たなびけり 」 (巻15-3615)
(私がこうして旅にでているので、今頃妻は嘆いているんだろう 風早の港にたなびいている霧はまるで妻の吐息のようだ)
妻が送った歌は以下です。
「君が行く 海辺の宿に 霧立たば 我が立ち嘆く 息と知りませ」 (巻15-3580)
(あなたがこれから遠くへ旅立つ途中の海辺の宿で もし霧が立ったなら、あなたを恋して嘆いている私の吐息と思ってください)
昔の人は風流ですねぇ( ´Д`)=3
さて親新羅となるのか、反新羅となるのか、大きな分かれ目ですね。
朝鮮半島に生き残った新羅と我が国とは、この後も「浅からぬ因縁」の関係が続きます。
今後も是非ご覧いただければと思います。
そのために、我が国と朝鮮半島との間には、綺麗事では済まされない関係が続いてきました。
権謀術数、深慮遠謀、遠交近攻…。時には多くの血が流されたこともありました。
しかしそれは、我が国と朝鮮半島の独立国のそれぞれが、お互いの国の為と信じて、あらゆる手段を尽くして争ってきた結果なのです。
現代に生きる私たちは、祖国でもある日本という国で幸せに暮らしています。この幸福は、多くの先祖の方々の願いと、血のにじむような努力の結晶でもあります。
「恩」や「仇」という、現代の価値観から物事を見ることは間違ってはおりません。しかし、先祖に感謝し、次代にこの国を引き継ぐ使命のある私たちは、祖先の行動を断罪するばかりでなく、その生き様や努力から、数多くの勇気と希望を持ちたいものであると、私は常々考えております。
今後とも宜しくお願い致します。
遣新羅使は高校のほとんどの教科書にも記載がありませんからね。新羅と我が国の関係を探るうえでも大事な事実なのですが…。
> 昔の人は風流ですねぇ( ´Д`)=3
物事をストレートに表すのが当たり前になってしまった今の世の中にはない婉曲な表現がいいですよねぇ。
> さて親新羅となるのか、反新羅となるのか、大きな分かれ目ですね。
明日から早速…といきたいところですが、少しだけ回り道をします(笑)。
現在に至るまで、これらの国々と、わが国は
「ただならぬ関係」が続いていますね。
ただ、お互いに言い分はあるでしょう。
ここは過去に学び、
価値観が違うことをまずは認め合えるようになり、
そこから先へ進んで欲しいと思います。
いつまでもお互い仮想敵国じゃ~ね♪
だれか第三者がもうかっちゃいそうですw
価値観や歴史観の違いは如何とも出来ませんし、いがみ合いが続けば、それこそ「漁夫の利」でしょう。
どちらかにおもねるのではなく、言いたいことが言える「大人の関係」でありたいものです。
当時の我が国と新羅の関係のように…。
毎日、楽しみに読ましていただいてます。
恥ずかしながら、遣新羅使はじめて知りました。
夏本番となりました
くれぐれもご自愛ください。
有難うございます!(^o^)丿
> 恥ずかしながら、遣新羅使はじめて知りました。
いえいえ、他の方からのコメ返でも書きましたが、重要な遣新羅使を教えない歴史教育にも問題があると思いますよ。
> 夏本番となりました
> くれぐれもご自愛ください。
お気遣い有難うございます。東洋劇場さんもお気を付け下さいませ。