1.三種の神器は南朝の後亀山天皇から北朝の後小松天皇へ「譲国(じょうこく)の儀式(ぎしき)」で渡すこと
2.皇位の継承に際しては、南北両朝が交互(こうご)に即位する両統迭立(りょうとうてつりつ)を行うこと
3.諸国(しょこく)の国衙領(こくがりょう、国の領地のこと)を南朝の所有とすること
このうち一番重要なのは1.でした。なぜなら「譲国の儀式」で譲位(じょうい)するということは、後亀山天皇のご在位を、ひいては南朝の後醍醐―後村上―長慶―後亀山という皇位の継承を正式なものとして認めるということを意味していたからです。
また、今後も両統迭立が行われるということは、後亀山天皇の子がいずれは天皇になるということであり、さらに国衙領の所有が認められるのであれば南朝にとってはかなり有利な内容でした。
しかし、それらはあくまで北朝と幕府が約束を守ればの話であり、実は義満は条件のすべてを反故(ほご)にしてしまったのです。





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ぴーち おはようございます!
人間、行く末に不安を感じると、揉め事を起こして、自らの心の平穏を奪い取ろうと思うものですが、最初から、条約として朝廷はこの先安泰であるという約束事が示されてあれば、ひとまずは事なきを得ることが出来ますね。
反故した理由は、どうしてなんでしょかね?
もしも、北朝がこの条約の条件を飲んでくれなかった時に、混乱の矛先が義満に向けられないように、証拠隠滅を図ったのでしょうか・・?
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 反故にした理由は色々考えられますが、有利な条件を示さなければ南朝から三種の神器を「奪う」ことはできないと義満が考えていたからかもしれませんね。
要するに、義満は初めから約束を守る気が全くなかった、と考えれば一番スッキリしそうです。
人間、行く末に不安を感じると、揉め事を起こして、自らの心の平穏を奪い取ろうと思うものですが、最初から、条約として朝廷はこの先安泰であるという約束事が示されてあれば、ひとまずは事なきを得ることが出来ますね。
反故した理由は、どうしてなんでしょかね?
もしも、北朝がこの条約の条件を飲んでくれなかった時に、混乱の矛先が義満に向けられないように、証拠隠滅を図ったのでしょうか・・?
応援凸
要するに、義満は初めから約束を守る気が全くなかった、と考えれば一番スッキリしそうです。