南朝の勢力が賀名生へ逃げ帰った後も、北朝の三人の上皇や皇太子は連れ去られたままであり、天皇であることを証明する三種の神器も南朝に奪われたままでした。
義詮は仕方なく、京都に残っておられた光巌上皇の第二皇子の弥仁親王(いやひとしんのう)を神器も後見役となる上皇の存在もなしで無理やり後光厳天皇(ごこうごんてんのう)として即位させましたが、天皇の正当性としては神器を所有する南朝に遠く及(およ)ばず、北朝の権威(けんい)が著(いちじる)しく低下するという悪影響をもたらしてしまいました。
ちなみに、こうした北朝の権威の低下が後の「ある足利将軍」の「大きな野望」へとつながっていくことになります。
なお、尊氏は翌1353年にようやく京都へと戻りましたが、その後も直冬の攻撃を受けるなど混乱が続いた後、自分の代で平和を達成できぬまま、1358年に54歳で死去しました。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
この足利尊氏については、自分自身、思い当たることがあり、
大変、勉強になりました。
私も
『八方美人で、優しいだけで、リーダーシップ力がない。』からです。
その結果
いつも、
自分自身も疲弊し、周りも迷惑を掛けています。
人間は、神様ではないから、八方美人自体、
現実的には、不可能かもしれませんね。
自分が決断を持って、行動すると必ず、反対者が出て、争いが起こることは、事前に考えていないといけませんね。
本当に歴史は、人間が生きる教訓がありますね。
青田さんへ
黒田裕樹 なるほど、そうなんですか。
現代においても歴史は様々な教訓を残してくれますね。
私も他人様のことは言えませんが…。
オバrev 個人的事情で忙しかったものですからご無沙汰してました。
1週間分をまとめて見ましたが、まず義詮の読み方が分かりません(T_T)読み仮名がなかったように思いますが?
尊氏がそういう性格だったとは意外ですね、というか珍しいですね。戦争にどう戦うかは得意だったけど、それ以外はからきしダメだったんですかね。
ある足利将軍って、TVにもでていたあの人ですか?
オバrevさんへ
黒田裕樹 年度替わりですからね。お忙しい中お言葉くださって有難うございます。
義詮は「よしあきら」と読みます。4月6日の更新で紹介したんですが、かなり前ですからね。どうも失礼しました。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-1251.html
仰るとおり、根っからの武人にしては珍しい性格です。「それ以外はからきしダメ」とは手厳しいですが、あながち間違いではないかもしれません。
> ある足利将軍って、TVにもでていたあの人ですか?
さぁ、誰でしょうか(笑)?
第30回歴史講座までしばらくお待ちくださいm(_ _)m
不安定な幕府。
晴雨堂ミカエル そのある足利将軍にしても、全国を平定できた訳ではありませんから、盤石の江戸幕府とは雲泥の差ですね。
2つの朝廷、幕府も内部に鎌倉という「幕府」を設けましたし。この時代は御所とか公方があちこちにできて、政庁の価値が下がるのは戦国時代の前触れでもありますね。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、常に不安定な要素を抱えていた室町幕府はとても天下を取る器ではなかったということになります。
戦国時代の前兆も、確かに尊氏の時代からうかがえますね。
ぴーち おはようございます!
肝心要の三種の神器が奪われてしまっては
無理やり天皇に仕立てて、体裁を繕っても
「仏作って魂入れず」。
尊氏の生き方も結局そんな最後を迎えてしまった
のですね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
尊氏自身の優柔不断で、何もかもが体裁だらけの中途半端な最期になってしまいました。
そのツケが後の幕府将軍に重くのしかかってしまいます。
こんばんは
青田です。
この足利尊氏については、自分自身、思い当たることがあり、
大変、勉強になりました。
私も
『八方美人で、優しいだけで、リーダーシップ力がない。』からです。
その結果
いつも、
自分自身も疲弊し、周りも迷惑を掛けています。
人間は、神様ではないから、八方美人自体、
現実的には、不可能かもしれませんね。
自分が決断を持って、行動すると必ず、反対者が出て、争いが起こることは、事前に考えていないといけませんね。
本当に歴史は、人間が生きる教訓がありますね。
現代においても歴史は様々な教訓を残してくれますね。
私も他人様のことは言えませんが…。
1週間分をまとめて見ましたが、まず義詮の読み方が分かりません(T_T)読み仮名がなかったように思いますが?
尊氏がそういう性格だったとは意外ですね、というか珍しいですね。戦争にどう戦うかは得意だったけど、それ以外はからきしダメだったんですかね。
ある足利将軍って、TVにもでていたあの人ですか?
義詮は「よしあきら」と読みます。4月6日の更新で紹介したんですが、かなり前ですからね。どうも失礼しました。
http://rocky96.blog10.fc2.com/blog-entry-1251.html
仰るとおり、根っからの武人にしては珍しい性格です。「それ以外はからきしダメ」とは手厳しいですが、あながち間違いではないかもしれません。
> ある足利将軍って、TVにもでていたあの人ですか?
さぁ、誰でしょうか(笑)?
第30回歴史講座までしばらくお待ちくださいm(_ _)m
2つの朝廷、幕府も内部に鎌倉という「幕府」を設けましたし。この時代は御所とか公方があちこちにできて、政庁の価値が下がるのは戦国時代の前触れでもありますね。
戦国時代の前兆も、確かに尊氏の時代からうかがえますね。
肝心要の三種の神器が奪われてしまっては
無理やり天皇に仕立てて、体裁を繕っても
「仏作って魂入れず」。
尊氏の生き方も結局そんな最後を迎えてしまった
のですね。
応援凸
尊氏自身の優柔不断で、何もかもが体裁だらけの中途半端な最期になってしまいました。
そのツケが後の幕府将軍に重くのしかかってしまいます。