なぜなら、平家が摂関家の真似(まね)をしただけでは武士たちの立場に全く変化がなかったからです。人間というものは期待が大きければ大きいほど、裏切(うらぎ)られた場合の怒(いか)りが大きくなるものですが、武士たちの場合も平家への期待が大きかっただけに「同じ武士なのに、なぜ俺たちの思いが分からないのか」と余計に不満を持つようになりました。
一方、それまで政治を行っていた貴族たちも、身分が低いうえに血を流す「ケガレた」仕事しかしないと見下していた武士である平家が自分たちの真似をしたことに対して激しく反発していました。すなわち、平家の行った政治は武士と貴族の双方から問答無用で拒否(きょひ)されてしまったのです。
源頼朝や足利尊氏(あしかがたかうじ)、あるいは織田信長(おだのぶなが)・豊臣秀吉(とよとみひでよし)・徳川家康(とくがわいえやす)など、後の世で武士による政治が広く支持されたという現実を考えれば、初めてであるがゆえに確固(かっこ)たるビジョンを持てない「開拓者」としての立場でしかなかった平家の悲劇でもありました。





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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晴雨堂ミカエル 民主党も国民の期待を一身に浴びて政権に就きましたが、事実上マニフェスト反古にし政権交代の意義を自ら否定するという惨めな結果。
ただ、私が民主党の弁護士ならば、自民党が残した不良債権の処理だけでも途方のないことに加え、未曾有の東日本大震災で完全に首が回る振りすらできなくなった。
これも、今まで自民党だけに国政を任せてきた国家主権者たちの罪です。
と、弁護するでしょうな。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 負の遺産については否定しませんが、それを含めてのマニフェストだったはずですからね。
甘い言葉で投票を呼び掛けた罪は大きいと思いますし、何よりも期待を抱かせて裏切られた国民の怒りは半端ではなく、たとえそれが理不尽であったとしても、恨みつらみは時の政権に向けられるのが世の常というものです。
オバrev 確かに清盛には、お手本とする前例がなかったことが悲劇に繋がったのかもしれませんね。
それと頼朝や家康に比べると、下積み生活がなかったことも影響しているかも。
しかし、それを忠告する忠臣はいなかったんですかね?
ぴーち おはようございます!
いわゆる「ミイラ取りがミイラに」なった様な形になってしまった平家が武士の怒りを買ってしまった訳ですね。
ただ闇雲に頂点を目指したいという、野心だけで這い上がっただけで、そこで何をしたいのかという明確な目標がなければ、確かに周りからは非難轟々でしょうし、またその非難に対しても確固たる意志がなければ、風当たりの強い場所には立ち続けていられなくなりますね・・(^_^;)
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、ビジョンのなさが平家の命取りになりましたね。
非難については平家の軍事力で抑えられますが、それもできなくなると…。
今後の運命が見えてきますね。
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オバrevさんへ
黒田裕樹 (お言葉への返信が遅れてしまい、申し訳ございませんでした。)
前例のないことには人間誰しもが戸惑うものですからね。それゆえに清盛は最悪の選択をしてしまいました。
また、仰るとおり幼い頃から貴族じみた生活をしていて下積みらしいのがなかったこともありますし、また彼が最高権力者として独裁的な政治を行っていたことや、平家一門の多くが同じように貴族じみていたことも影響していたと思われます。
ただ、私が民主党の弁護士ならば、自民党が残した不良債権の処理だけでも途方のないことに加え、未曾有の東日本大震災で完全に首が回る振りすらできなくなった。
これも、今まで自民党だけに国政を任せてきた国家主権者たちの罪です。
と、弁護するでしょうな。
甘い言葉で投票を呼び掛けた罪は大きいと思いますし、何よりも期待を抱かせて裏切られた国民の怒りは半端ではなく、たとえそれが理不尽であったとしても、恨みつらみは時の政権に向けられるのが世の常というものです。
それと頼朝や家康に比べると、下積み生活がなかったことも影響しているかも。
しかし、それを忠告する忠臣はいなかったんですかね?
いわゆる「ミイラ取りがミイラに」なった様な形になってしまった平家が武士の怒りを買ってしまった訳ですね。
ただ闇雲に頂点を目指したいという、野心だけで這い上がっただけで、そこで何をしたいのかという明確な目標がなければ、確かに周りからは非難轟々でしょうし、またその非難に対しても確固たる意志がなければ、風当たりの強い場所には立ち続けていられなくなりますね・・(^_^;)
応援凸
非難については平家の軍事力で抑えられますが、それもできなくなると…。
今後の運命が見えてきますね。
前例のないことには人間誰しもが戸惑うものですからね。それゆえに清盛は最悪の選択をしてしまいました。
また、仰るとおり幼い頃から貴族じみた生活をしていて下積みらしいのがなかったこともありますし、また彼が最高権力者として独裁的な政治を行っていたことや、平家一門の多くが同じように貴族じみていたことも影響していたと思われます。