院政によって上皇(=法皇)の地位は「治天の君(ちてんのきみ)」と称(たた)えられるまでになりましたが、その独裁的な政治手法は周囲の混乱をもたらすことになり、皇位の継承(けいしょう)に関しても例外ではありませんでした。
白河法皇は孫の鳥羽天皇と藤原璋子(ふじわらのしょうし)との間にお生まれになった顕仁親王(あきひとしんのう)を大変可愛(かわい)がられ、親王が5歳になられた1123年には崇徳天皇(すとくてんのう)として即位(そくい)させました。
祖父の白河法皇によって無理やり退位させられた鳥羽上皇(のち法皇)は、いつしか自身の退位の引き金(がね)となった我が子の崇徳天皇に対しても良い感情を持たれなくなりました。そんな中、1129年に白河法皇が崩御(ほうぎょ)され、鳥羽上皇が待望久しい「治天の君」になられました。





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晴雨堂ミカエル 百人一首の中で崇徳院の歌が一番好きですね。
せをはやみ 岩にせかるるたきがわの われてもすえにあわんとぞおもふ
崇徳院の家庭はドロドロで愛憎骨肉、ある意味、生々しく人間臭い。
晩年はザンバラの髭面、妖怪みたいな容姿になったとか。呪いの世界では有名人です。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、崇徳上皇にまつわる伝説は凄まじいものがありますね。
「呪いによって武家に政権が奪われた」ことにもなっていますし。
明治天皇も即位の礼の前に勅使をつかわされておられます。
ぴーち おはようございます!
何故に白河法皇は、鳥羽上皇を差し置いて
年端も行かない孫に天皇を即位させて
しまったのでしょうか。
そこにはただ寵愛していただけという理由しか
無かったのでしょうか?
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 白河法皇は藤原璋子を大変可愛がっており、彼女が生んだ顕仁親王を何としても天皇に即位させようとしたのが真実のようです。
その寵愛ぶりから「顕仁親王は白河法皇の隠し子である」というとんでもない俗説が鎌倉時代にささやかれる有り様でした。そして、それをさも現実であるかのように筋書き立てているのが今年の大河ドラマなのです。
せをはやみ 岩にせかるるたきがわの われてもすえにあわんとぞおもふ
崇徳院の家庭はドロドロで愛憎骨肉、ある意味、生々しく人間臭い。
晩年はザンバラの髭面、妖怪みたいな容姿になったとか。呪いの世界では有名人です。
「呪いによって武家に政権が奪われた」ことにもなっていますし。
明治天皇も即位の礼の前に勅使をつかわされておられます。
何故に白河法皇は、鳥羽上皇を差し置いて
年端も行かない孫に天皇を即位させて
しまったのでしょうか。
そこにはただ寵愛していただけという理由しか
無かったのでしょうか?
応援凸
その寵愛ぶりから「顕仁親王は白河法皇の隠し子である」というとんでもない俗説が鎌倉時代にささやかれる有り様でした。そして、それをさも現実であるかのように筋書き立てているのが今年の大河ドラマなのです。