征夷大将軍も、本来は東北地方の蝦夷(えみし)を討伐するために設けられた臨時の役職でしたが、同じような権限が与えられたことで、いつしか「朝廷から独立した軍事政権を握るための地位」と拡大解釈され、1192年に源頼朝(みなもとのよりとも)が征夷大将軍に任じられたことで、軍事政権が朝廷から公認される、という扱いとなったのです。
朝廷から征夷大将軍に任じられたことで、頼朝は政治の実権を「朝廷から委任される」、つまり「朝廷から預かる」という立場となりました。この考えは後の室町幕府、そして今回の江戸幕府も全く同じですが、一度「預かった」ものは、いずれは必ず「返す」ことになりますよね。
だからこそ、朝廷から預かった「大政(=国政)」を「還(かえ)し奉(たてまつ)る」、すなわち「大政奉還」という概念が成立し、武力討幕を実行しようとしていた薩長両藩に対する大きな牽制(けんせい)となったのでした。
なお、大政奉還は土佐藩の坂本龍馬が考案し、後藤象二郎(ごとうしょうじろう)から前藩主の山内容堂(やまうちようどう、別名を豊信=とよしげ)を通じて、慶喜に働きかけて実現したとされています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)





いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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こみー お久しぶりです^^;
年、明けましたね(^^)/
去年は受験やらで忙しくなってなかなかブログに
触れる機会がなかったものですから・・・
受験をひと足先にパスさせてもらったので、
これからまたいろいろ参考にさせていただきます(´▽`)
今年もよろしくお願いします!
こみーさんへ
黒田裕樹 こちらこそご無沙汰しておりましたm(_ _)m
受験クリアおめでとうございます!
残り少ない高校生生活を充実させて下さいね。
当ブログがお役に立てれば幸いです(^^♪
ぴーち おはようございます!
龍馬は征夷大将軍という地位が朝廷から預けられた臨時の役職で
あるということをちゃんと把握していた訳ですね。
勿論、龍馬ばかりではなく他の方も把握されていたのでしょうけれど。
歴史を知り、また未来を見つめて行動していた龍馬は改めて優れた人物だったのですね。
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 そう思われますね。
龍馬の先見性の素晴らしさが分かると同時に、当時の教育の水準の高さがしのばれます。
幕府
青田です。 黒田先生
こんばんは
青田です。
時間は、遡りますが、源頼朝が、この有名無実の
しかも、臨時の役職である征夷大将軍になり、
それで、実権を握るという発想をしたこと自体が
凄いですね。
(もっとも、その後、北条氏が執権という、これまた、単に将軍を補佐する役職で、実権を握ったのも凄いですが)
そして
この日本独特の『しくみ』を坂本龍馬も知っていて、徳川慶喜も知っていたから、別に大政奉還をしても、実権を持つことは、可能だと考えたのでしょうね。
それにしても、徳川慶喜と坂本龍馬も日本の政治というのを歴史の上からも深く、理解していたのには、驚かされます。
さらに
これについては、薩摩・長州Vs徳川慶喜・土佐藩との政治工作の戦いですね。
(目に見えない激しい戦い)
青田さんへ
黒田裕樹 源頼朝の場合は、ブレーンとして貴族出身の大江広元がいましたから、彼あたりが勧めたかもしれませんね。いずれにせよ、実行力が伴わなければ実現しなかったでしょうし、頼朝の度量の大きさがうかがえます。
慶喜も龍馬も、現代とは比べ物にならないほど勉強家だったと思われますからね。当然情報合戦も熾烈だったでしょう。
年、明けましたね(^^)/
去年は受験やらで忙しくなってなかなかブログに
触れる機会がなかったものですから・・・
受験をひと足先にパスさせてもらったので、
これからまたいろいろ参考にさせていただきます(´▽`)
今年もよろしくお願いします!
受験クリアおめでとうございます!
残り少ない高校生生活を充実させて下さいね。
当ブログがお役に立てれば幸いです(^^♪
龍馬は征夷大将軍という地位が朝廷から預けられた臨時の役職で
あるということをちゃんと把握していた訳ですね。
勿論、龍馬ばかりではなく他の方も把握されていたのでしょうけれど。
歴史を知り、また未来を見つめて行動していた龍馬は改めて優れた人物だったのですね。
応援凸
龍馬の先見性の素晴らしさが分かると同時に、当時の教育の水準の高さがしのばれます。
こんばんは
青田です。
時間は、遡りますが、源頼朝が、この有名無実の
しかも、臨時の役職である征夷大将軍になり、
それで、実権を握るという発想をしたこと自体が
凄いですね。
(もっとも、その後、北条氏が執権という、これまた、単に将軍を補佐する役職で、実権を握ったのも凄いですが)
そして
この日本独特の『しくみ』を坂本龍馬も知っていて、徳川慶喜も知っていたから、別に大政奉還をしても、実権を持つことは、可能だと考えたのでしょうね。
それにしても、徳川慶喜と坂本龍馬も日本の政治というのを歴史の上からも深く、理解していたのには、驚かされます。
さらに
これについては、薩摩・長州Vs徳川慶喜・土佐藩との政治工作の戦いですね。
(目に見えない激しい戦い)
慶喜も龍馬も、現代とは比べ物にならないほど勉強家だったと思われますからね。当然情報合戦も熾烈だったでしょう。