このように様々な発明や改良を行い続け、我が国の歴史に大きな足跡を残した田中久重でしたが、明治14(1881)年に83歳の長寿を全(まっと)うしてこの世を去りました。
久重の死後、養子が二代目田中久重を名乗って翌明治15(1882)年に銀座から東京の芝浦(しばうら)に移転して「田中製造所」を設立しました。田中製造所は明治37(1904)年に会社所在地の「芝浦製作所」に改名し、昭和14(1939)年には「東京電気」と合併(がっぺい)して「東京芝浦電気株式会社」となりました。
東京芝浦電気は昭和59(1984)年に「株式会社東芝(とうしば)」と商号変更して現在に至(いた)っています。田中久重が生涯(しょうがい)かけて築き上げた発明や改良における情熱あるいは探究心(たんきゅうしん)は、我が国が世界に誇(ほこ)れる複合電機メーカーである東芝に受け継がれているのです。




いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
トラックバック(0) |
オバrev な、な、何と!二代目田中久重は、東芝を興した人だったんですか(゜o゜;
初代が軽いものから重いものまで何でもできたように、現在の東芝も家電から軍事機器、はたまた原発まで、何でもできる我が国を代表する製造メーカーですからね。
その精神が生きているのかもしれませんね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 そうなんですよ。田中久重の業績が東芝にまでつながっているんです。
仰るとおり、複合電機メーカーとして何でもできる東芝は、久重の精神をしっかりと受け継いでいるといえるでしょうね。
ぴーち おはようございます!
東芝の起原が田中久重だったんですね!
私は会社名に興味があり、たまに調べたりしておりますが、東京の芝浦で設立された事で「東芝」だったんですね!初めて知りました♫
またひとつ勉強になりありがとうございましたm(_ _)m
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 有難うございます。
今をときめく大企業の東芝ですからね。
それぞれに色々な由来がありますが、田中久重がかかわっているところが秀逸だと思います。
初代が軽いものから重いものまで何でもできたように、現在の東芝も家電から軍事機器、はたまた原発まで、何でもできる我が国を代表する製造メーカーですからね。
その精神が生きているのかもしれませんね。
仰るとおり、複合電機メーカーとして何でもできる東芝は、久重の精神をしっかりと受け継いでいるといえるでしょうね。
東芝の起原が田中久重だったんですね!
私は会社名に興味があり、たまに調べたりしておりますが、東京の芝浦で設立された事で「東芝」だったんですね!初めて知りました♫
またひとつ勉強になりありがとうございましたm(_ _)m
応援凸
今をときめく大企業の東芝ですからね。
それぞれに色々な由来がありますが、田中久重がかかわっているところが秀逸だと思います。