その女性とは同じ久留米に住んでした井上伝(いのうえでん)であり、彼女は久留米絣(くるめがすり)の創始者でしたが、絣に絵を入れることがどうしても出来ず、儀右衛門に依頼(いらい)したのでした。
儀右衛門は伝の期待に応(こた)えて絣に絵模様(えもよう)を織り込(おりこ)むための織機(しょっき)を完成させ、久留米絣の技術をさらに向上させることに成功しました。この時、儀右衛門はわずかに15歳です。
発明家として自信を深めた儀右衛門は、愛読していた「機巧図彙(からくりずい)」という様々なからくりの仕掛けを図解(ずかい)した本の影響も受けて、寝る間も惜(お)しんで創作に明け暮(く)れる毎日を送っていました。
そんな儀右衛門に対して、父の弥右衛門はべっこう細工の家業(かぎょう)を継(つ)いでくれるように願っていましたが、創作意欲に燃えていた儀右衛門は、やがて「日本一のからくり師」を目指して自分で生計(せいけい)を立てる決意をしました。




いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
世間一般に、出来の良い子供程、家督を継いでくれることが難しくなるようですが、田中久重の場合もやはりその溢れんばかりの才能が故に、世間から放っておかれなくなってしまったんですね。
親からすれば、家督を継がない親不孝な子供でも、
世の中に役立つ人間に成長してくれたことに
良しとしなければならないでしょうね(^_^;)
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおりですね。
儀右衛門の場合は弟がいましたし、自分のやりたいことを認めてくれた父親の器量の大きさも素晴らしいものがあると思います。
世に出ようと思えば、家族の協力は不可欠とも言えそうですね。
世間一般に、出来の良い子供程、家督を継いでくれることが難しくなるようですが、田中久重の場合もやはりその溢れんばかりの才能が故に、世間から放っておかれなくなってしまったんですね。
親からすれば、家督を継がない親不孝な子供でも、
世の中に役立つ人間に成長してくれたことに
良しとしなければならないでしょうね(^_^;)
応援凸
儀右衛門の場合は弟がいましたし、自分のやりたいことを認めてくれた父親の器量の大きさも素晴らしいものがあると思います。
世に出ようと思えば、家族の協力は不可欠とも言えそうですね。