だからこそ新たに京都守護職が必要となり、また京都守護職の保護を受けた、本来ならば下級武士や浪人などの集団に過ぎない新選組(しんせんぐみ)が京都において活躍する原因にもなったのです。幕府による平和ボケはこんなところにまで影響を及(およ)ぼしていたということになりますね。
ちなみに松平容保が京都守護職に選ばれた理由は、会津藩の始祖(しそ)である保科正之(ほしなまさゆき)が残した「会津藩は将軍家を守護すべき存在である」という家訓(かくん、守るべきものとしてその家に伝わるいましめや教えのこと)があったからだとされています。容保が京都守護職を引き受けたことによって、会津藩は幕府と運命をともにすると同時に、幕府の崩壊(ほうかい)後に大きな悲劇を経験してしまうことになるのでした。
なお、文久の改革における政事総裁職は「政治」ではなく「政事(=政治上の事務のこと)」ですので注意が必要です。また、京都守護職の松平容保は「堅(かた)い守り(=守護職)の容保(かたもり)さん」と覚えれば良いでしょう。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)
(※明日[12月2日]からは第27回歴史講座の内容の更新を開始します)




いつも応援いただきまして、本当に有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
そうですか・・
改めて「政治」という文字の意味を
考えさせていただくと
国家を正しくおさめと言う意味ですものね。
正しくおさめることが基本であるとすれば、
その基本すら滞ってしまうような政治のあり方は
やはり適任ではないということですものね・・(^^ゞ
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり「治める」ことと「事務」とでは全く異なりますからね。
現行の政治は「事務」どころか「政治屋」になってしまっているところがさらに問題かと思われます。
先の大阪の選挙結果が如実に表しているのではないでしょうか。
ショック療法
青田です。 黒田先生、ぴーちさん
こんばんは
青田です。
政治家かが、単なる事務屋になり
平和ボケになると、
今度の大阪のW選挙のようなショック療法でないと状況は、打開できないのかもしれませんね。
青田さんへ
黒田裕樹 確かにそう言えますね。
彼らにとっては黒船以上のショックかもしれません。
幕府は気づくのが遅すぎましたが、現状はどうでしょうか?
なおまゆ 幕末の会津藩の動きは、『節義』を考えさせられますね。あそこまで、攻める必要はなかったと思っています。凄惨なあの戦いで多くの人材が亡くなりました。白虎隊の少年達が生きていれば、どれ程国家に貢献してくれたか・・・。戊辰戦争は必要なかった。
幕府がしっかりしていれば・・・・、もっと平和に政権移譲ができたと思います。
悔しい戦争でした。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 会津戦争は残念な出来事でした。年末時代劇でも有名になりましたね。
幕府の失政が招いた悲劇だとも言えます。
そうですか・・
改めて「政治」という文字の意味を
考えさせていただくと
国家を正しくおさめと言う意味ですものね。
正しくおさめることが基本であるとすれば、
その基本すら滞ってしまうような政治のあり方は
やはり適任ではないということですものね・・(^^ゞ
応援凸
現行の政治は「事務」どころか「政治屋」になってしまっているところがさらに問題かと思われます。
先の大阪の選挙結果が如実に表しているのではないでしょうか。
こんばんは
青田です。
政治家かが、単なる事務屋になり
平和ボケになると、
今度の大阪のW選挙のようなショック療法でないと状況は、打開できないのかもしれませんね。
彼らにとっては黒船以上のショックかもしれません。
幕府は気づくのが遅すぎましたが、現状はどうでしょうか?
幕府がしっかりしていれば・・・・、もっと平和に政権移譲ができたと思います。
悔しい戦争でした。
幕府の失政が招いた悲劇だとも言えます。