一つの住居には一つの家族が住み、数件の竪穴住居が寄り合って形成された集落には、30~50人前後の人々が住んでいたと考えられています。そんな竪穴住居などが数多く発見された、我が国最大級の縄文時代の遺跡として有名なのが、青森県の三内丸山遺跡(さんないまるやまいせき)ですね。
縄文時代の集落では基本的に自給自足の生活を送っていましたが、石鏃(せきぞく)などの材料になる黒曜石(こくようせき)やサヌカイト、装身具用のひすい(硬玉=こうぎょく)などの不足する物資はかなり遠方の集団との交易で手に入れていました。
なぜそんなことが分かるかというと、例えば黒曜石は火山帯でしか産出しないなど、これらはいずれも生産地が限られているにもかかわらず、全国の遺跡で見受けられるからです。




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