水野は、諸物価の値上がりは当時の流通システムを仕切っていた商人による株仲間(かぶなかま)に原因があるとして、北町奉行の遠山らの反対を押し切って1841年に彼らの解散を命じましたが、これはとんでもない濡(ぬ)れ衣(ぎぬ)でした。
なぜなら、先述のとおり物価の値上がりの原因は別に存在していましたし、何よりも株仲間を解散するということは、曲がりなりにも長年続いた物資の流通システムを壊(こわ)してしまうことを意味していたからです。
かくして遠山らが心配したとおり、流通網(りゅうつうもう)が混乱したことでかえって物価が上昇するという完全な逆効果をもたらしてしまいましたが、水野らは明確な責任を取ることもなく、さらなる改革を強引に推(お)し進めていきました。
なお、株仲間は10年後の1851年に再興されています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




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黒田裕樹 こちらこそ、いつもご訪問くださって有難うございます。
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