すなわち、近衛家(このえけ)・九条家(くじょうけ)・二条家(にじょうけ)・一条家(いちじょうけ)・鷹司家(たかつかさけ)の5家が本姓(ほんせい)は藤原氏をそのまま使用しながらも、一般的には地名や屋敷名(やしきめい)を苗字(みょうじ)として名乗り始めたのです。
なお、明治時代までは本姓と苗字とは明確に区別されていました。例えば徳川氏は正しくは苗字で、本姓は源氏(げんじ)です。
こうしていわゆる五摂家(ごせっけ)が摂政・関白を独占する時代が続きましたが、それらは政治の実権とは全く別の存在であり、有名無実(ゆうめいむじつ、名ばかりでそれに伴う実質のないこと)そのものでした。
しかし、そんな五摂家が一人の戦国武将によってにわかに脚光(きゃっこう)を浴びるようになっていったのです。
(※下記の映像において系図などを詳しく書いておりますので、是非ご覧下さい。)




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんにちは!
苗字とは別に本姓という種類が普通に
存在していたというのは
初めて伺いました!
今でも女性は本姓と嫁ぎ先の苗字の二種類を
持つことになるとは思いますが、この時代は
誰でもそういうものだったのですか?
今は、苗字と名前に分かれていますが、
昔は本姓が名前に該当していたのですか?
質問ばかりで申し訳ありません(^^ゞ
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 本姓と苗字は全く違うものです。
姓はかつては「かばね」といって、朝廷から与えられたものでした。源氏・平氏・藤原氏・橘氏のいわゆる「源平藤橘」が有名ですね。
しかし、姓は種類が少なかったため、時が経つにつれて同じ姓の人が多くなって混乱するようになりました。そこで、同じ姓を持つ人が地名などを名乗って、例えば「足利地方の源さん」「新田地方の源さん」というような感じで苗字を名乗るようになったのです。
なお、明治時代になって国民すべてに苗字を名乗るようになってからは、姓と苗字との区別が事実上なくなっています。
ご質問の件ですが、鎌倉時代の頃は夫婦で違う名乗りをしていましたが(例えば、源頼朝と北条政子)、家が重視されるようになると、女性が(場合によっては男性が)新たに家に入るということで、同じ苗字を名乗るようになり、明治以降もこの慣習が残っています。
従って、本姓が名前になるということもありません。
オバrev そうそう鎌倉時代以降は、それまでの華やかな藤原氏の名前が歴史上から姿を消してしまっているという印象なんですよ。
実際は、権力はないけど摂関家として続いていたんですね。
本姓と苗字の両方を持っていたとなると、例えば近衛文麿の場合は、藤原近衛文麿のような言い方をしたんでしょうか?
オバrevさんへ
黒田裕樹 > そうそう鎌倉時代以降は、それまでの華やかな藤原氏の名前が歴史上から姿を消してしまっているという印象なんですよ。
> 実際は、権力はないけど摂関家として続いていたんですね。
仰るとおり、鎌倉以後は藤原氏というよりも近衛家などの「五摂家」として、政治的権力はないものの、摂関家としては存続していました。
> 本姓と苗字の両方を持っていたとなると、例えば近衛文麿の場合は、藤原近衛文麿のような言い方をしたんでしょうか?
そのとおりです。正式には「藤原朝臣近衛文麿(ふじわらのあそんこのえふみまろ)」ですね(長い!)。
夫婦別姓をするなら・・。
晴雨堂ミカエル 江戸時代が長く続けば、水戸徳川家も苗字が「徳川」から「水戸」へ変質する可能性も無きにしも非ずですね。
ところで、夫婦別姓論者は欧米が導入していることを論拠に強弁しますが、欧米ではミドルネームがまだ生きています。第三以降の名前があるから、両家のアイデンティティ侵害を最小限に抑えているのを日本の別姓論者は知らずなのかワザとなのか無視しています。
明治の姓名合理化の戸籍制度のまま夫婦別姓にしたら大変な混乱をきたす。
別姓、同姓云々は別にして、私は江戸時代以前のように姓・苗字・通名・諱の四つを復活させても良いと思っています。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 なるほど、「水戸光圀」という別名がそのまま名前として定着した可能性もありますね。
我が国と西洋との事情の違いを理解せずに、強引に押し進めようとする姿勢は確かに良くないですね。
苗字とは別に本姓という種類が普通に
存在していたというのは
初めて伺いました!
今でも女性は本姓と嫁ぎ先の苗字の二種類を
持つことになるとは思いますが、この時代は
誰でもそういうものだったのですか?
今は、苗字と名前に分かれていますが、
昔は本姓が名前に該当していたのですか?
質問ばかりで申し訳ありません(^^ゞ
応援凸
姓はかつては「かばね」といって、朝廷から与えられたものでした。源氏・平氏・藤原氏・橘氏のいわゆる「源平藤橘」が有名ですね。
しかし、姓は種類が少なかったため、時が経つにつれて同じ姓の人が多くなって混乱するようになりました。そこで、同じ姓を持つ人が地名などを名乗って、例えば「足利地方の源さん」「新田地方の源さん」というような感じで苗字を名乗るようになったのです。
なお、明治時代になって国民すべてに苗字を名乗るようになってからは、姓と苗字との区別が事実上なくなっています。
ご質問の件ですが、鎌倉時代の頃は夫婦で違う名乗りをしていましたが(例えば、源頼朝と北条政子)、家が重視されるようになると、女性が(場合によっては男性が)新たに家に入るということで、同じ苗字を名乗るようになり、明治以降もこの慣習が残っています。
従って、本姓が名前になるということもありません。
実際は、権力はないけど摂関家として続いていたんですね。
本姓と苗字の両方を持っていたとなると、例えば近衛文麿の場合は、藤原近衛文麿のような言い方をしたんでしょうか?
> 実際は、権力はないけど摂関家として続いていたんですね。
仰るとおり、鎌倉以後は藤原氏というよりも近衛家などの「五摂家」として、政治的権力はないものの、摂関家としては存続していました。
> 本姓と苗字の両方を持っていたとなると、例えば近衛文麿の場合は、藤原近衛文麿のような言い方をしたんでしょうか?
そのとおりです。正式には「藤原朝臣近衛文麿(ふじわらのあそんこのえふみまろ)」ですね(長い!)。
ところで、夫婦別姓論者は欧米が導入していることを論拠に強弁しますが、欧米ではミドルネームがまだ生きています。第三以降の名前があるから、両家のアイデンティティ侵害を最小限に抑えているのを日本の別姓論者は知らずなのかワザとなのか無視しています。
明治の姓名合理化の戸籍制度のまま夫婦別姓にしたら大変な混乱をきたす。
別姓、同姓云々は別にして、私は江戸時代以前のように姓・苗字・通名・諱の四つを復活させても良いと思っています。
我が国と西洋との事情の違いを理解せずに、強引に押し進めようとする姿勢は確かに良くないですね。