また、天照大神の命によって皇孫(こうそん)の瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が高天原(たかまがはら)から日向(ひゅうが)の高千穂(たかちほ)に天降(あまくだ)りなさったという天孫降臨(てんそんこうりん)の際に、天児屋根命は瓊瓊杵尊に付(つ)き従(したが)ったとされています。
つまり、藤原氏は神話の代から皇室に忠実に仕(つか)える家であると決められていました。そんな思いがあったからこそ、藤原氏の権勢がどれだけ強力なものになろうとも、自分が天皇になろうとは思わない、いや思えなかったのです。
また、武家として初めて政権を握った平氏や源氏も、古くは皇室の血を引いていましたから、本家を侵(おか)すことが出来ずに朝廷をそのまま残しましたし、その考えが足利氏以降の武家政権にも脈々(みゃくみゃく)と受け継がれています。
我が国では長い間神話というものが常に意識されてきました。そんな思いが長年の伝統として自然と皇室を尊敬する気持ちを高めるとともに、藤原氏自らが天皇になるという道を閉ざしてきたのです。
(※下記の映像において系図などを詳しく書いておりますので、是非ご覧下さい。)




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんにちは!
今日のお話を伺っていて、私は全く違う事を想像してしまいました(^^ゞ
神話が野望の歯止めになっていたというのなら、
その神話的な存在が今の日本の憲法9条にも該当するように感じました。黒田さんはどう思われますか?
私の見当違いでしたら、お許し下さいm(_ _)m
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > 神話が野望の歯止めになっていたというのなら、
> その神話的な存在が今の日本の憲法9条にも該当するように感じました。黒田さんはどう思われますか?
なるほど、争いを好まずに話し合いで解決するとすれば確かに一理ありますね。
この場合、国内であれば通用しますが、国外では相手国次第になってしまう可能性があるのが残念ではあります。
なおまゆ こんばんは!
この話は初めて知りました。
天皇家がどうして残ったか、納得です。
いわゆる『革命』が起きなかったのも日本人の潜在意識に『神話』があったからなんでしょうね。
織田信長が天皇家を超えようとしたという説もありますが、私は信じていません。
豊臣秀吉は、明を征服して天皇家を移動させようと計画しましたよね。しかしながら、姓を下賜された事実から、秀吉にも天皇家を超える気はなかったと思っています。
私なりですが、一層、歴史をおもしろく感じました。
ティーグ 初めまして。
神話が日本の歴史に大きく影響している点については私も同感です。
ただ藤原氏が皇室に忠実であったかどうかに関しては疑問に思っています。
平安時代の代表的な建物に平等院鳳凰堂がありますが、これは藤原氏の個人的別荘でした。同時期、平安京の正門である羅城門は荒れ放題でした。
羅城門は天皇家のものであり皇室の忠実な家来であればそれよりも豪華な鳳凰堂のような建物を建造せずに羅城門の修復に力を費やしていたのではないでしょうか。
また道長は法成寺建立の際に羅城門の礎石を盗んだと小右記に書かれていますが、これについてはどのようにお考えでしょう。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、神話は長い間我が国の背骨となって存在していました。
潜在意識の深さが、藤原氏が皇室を超えることを拒んだのでしょう。
信長や秀吉の解釈については、色々なお考えがあって当然と思います。
ティーグさんへ
黒田裕樹 はじめまして。お言葉有難うございます。
藤原氏の祖先が皇室に忠実な豪族であったことは間違いないですが、その意識は時代が流れるにつれて薄くなったことは私も同感です。
小右記における道長の行為も、皇室に対する尊敬の薄さを物語っていると思います。ただ、藤原氏に流れる「皇室に忠実な部下」という血が、皇室を超えることをためらわせて一線を越えさせなかったのではないかと考えております。
管理人のみ閲覧できます
-
神話の伝承
青田 黒田先生
青田です。
私は、若い頃は、日本の神話について
否定的で、馬鹿にしていた面がありました。
それは、心の中で、
『どうせ、創作』だと思っていたからです。
それゆえ、日本の古代史が、大嫌いでしたが、
最近、古事記を読むとハマってしまいました。
天照大神の『3つの教え』とは
① 人々を大切にする。
② 皇位継承を守る。
③ 平和を愛す。
だったんですね。
これがあるから、藤原氏以降の政権も
● 天皇を越えようとしない。
● 戦いの大義名分が『平和のため』が正義になる。
(西洋では、戦うための大義名分が『自由のため』が正義になっている。)
そう考えると、日本の歴史教育について、根本から、見直しが必要な気がします。
というのも、神話を全く、教えていないからです。
私は、伝承としてでも、絶対に日本の神話は、歴史教育で、教えるべきだと思います。
そうしないと、皇室についてだけでなく、
地名・官職名・建築物などで、辻褄が合わないことがたくさん、出てきます。
青田さんへ
黒田裕樹 私も仰るとおりかと思います。
今日のお話を伺っていて、私は全く違う事を想像してしまいました(^^ゞ
神話が野望の歯止めになっていたというのなら、
その神話的な存在が今の日本の憲法9条にも該当するように感じました。黒田さんはどう思われますか?
私の見当違いでしたら、お許し下さいm(_ _)m
応援凸
> その神話的な存在が今の日本の憲法9条にも該当するように感じました。黒田さんはどう思われますか?
なるほど、争いを好まずに話し合いで解決するとすれば確かに一理ありますね。
この場合、国内であれば通用しますが、国外では相手国次第になってしまう可能性があるのが残念ではあります。
この話は初めて知りました。
天皇家がどうして残ったか、納得です。
いわゆる『革命』が起きなかったのも日本人の潜在意識に『神話』があったからなんでしょうね。
織田信長が天皇家を超えようとしたという説もありますが、私は信じていません。
豊臣秀吉は、明を征服して天皇家を移動させようと計画しましたよね。しかしながら、姓を下賜された事実から、秀吉にも天皇家を超える気はなかったと思っています。
私なりですが、一層、歴史をおもしろく感じました。
神話が日本の歴史に大きく影響している点については私も同感です。
ただ藤原氏が皇室に忠実であったかどうかに関しては疑問に思っています。
平安時代の代表的な建物に平等院鳳凰堂がありますが、これは藤原氏の個人的別荘でした。同時期、平安京の正門である羅城門は荒れ放題でした。
羅城門は天皇家のものであり皇室の忠実な家来であればそれよりも豪華な鳳凰堂のような建物を建造せずに羅城門の修復に力を費やしていたのではないでしょうか。
また道長は法成寺建立の際に羅城門の礎石を盗んだと小右記に書かれていますが、これについてはどのようにお考えでしょう。
潜在意識の深さが、藤原氏が皇室を超えることを拒んだのでしょう。
信長や秀吉の解釈については、色々なお考えがあって当然と思います。
藤原氏の祖先が皇室に忠実な豪族であったことは間違いないですが、その意識は時代が流れるにつれて薄くなったことは私も同感です。
小右記における道長の行為も、皇室に対する尊敬の薄さを物語っていると思います。ただ、藤原氏に流れる「皇室に忠実な部下」という血が、皇室を超えることをためらわせて一線を越えさせなかったのではないかと考えております。
青田です。
私は、若い頃は、日本の神話について
否定的で、馬鹿にしていた面がありました。
それは、心の中で、
『どうせ、創作』だと思っていたからです。
それゆえ、日本の古代史が、大嫌いでしたが、
最近、古事記を読むとハマってしまいました。
天照大神の『3つの教え』とは
① 人々を大切にする。
② 皇位継承を守る。
③ 平和を愛す。
だったんですね。
これがあるから、藤原氏以降の政権も
● 天皇を越えようとしない。
● 戦いの大義名分が『平和のため』が正義になる。
(西洋では、戦うための大義名分が『自由のため』が正義になっている。)
そう考えると、日本の歴史教育について、根本から、見直しが必要な気がします。
というのも、神話を全く、教えていないからです。
私は、伝承としてでも、絶対に日本の神話は、歴史教育で、教えるべきだと思います。
そうしないと、皇室についてだけでなく、
地名・官職名・建築物などで、辻褄が合わないことがたくさん、出てきます。