810年9月、平城上皇はついに平城京への再遷都(さいせんと)を宣言され、朝廷に反旗(はんき)を翻(ひるがえ)されましたが、事前に動きを察知(さっち)された嵯峨天皇によって阻止(そし)されました。敗れた上皇は出家(しゅっけ)され、仲成は射殺(しゃさつ)され、薬子は毒をあおって自殺しました。この事件を薬子の変といいます。
この結果、藤原四兄弟の宇合を始祖とする式家は没落(ぼつらく)し、房前の子孫である藤原冬嗣が率(ひき)いる北家(ほっけ)が力をつけるきっかけになりました。この後、北家の子孫は皇室との結びつきを強めて次第に勢力を伸ばしていくことになるのですが、その背景には「藤原氏以外の他家の勢力が大きくならないうちに潰(つぶ)す」という策略(さくりゃく)もありました。
例えば842年には伴健岑(とものこわみね)や橘逸勢(たちばなのはやなり)らが皇太子を東国へ移して謀反(むほん)をたくらんでいるとして処罰(しょばつ)されたり、866年に平安京の応天門(おうてんもん)が炎上(えんじょう)した際には、事件の首謀者(しゅぼうしゃ)として伴善男(とものよしお)が処罰されたりしています。
なお、842年の事件は承和の変(じょうわのへん)、866年は応天門の変(おうてんもんのへん)と呼ばれています。
(※下記の映像において系図などを詳しく書いておりますので、是非ご覧下さい。)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
お名前が薬子だけに仏教で言う所の
「変毒為薬」は出来なかったんですね(^^ゞ
それにしてもこの頃は随分と争いごとが多かったんですね・・( ´゚д゚`)
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 > お名前が薬子だけに仏教で言う所の
> 「変毒為薬」は出来なかったんですね(^^ゞ
それはできなかったようですが、平城上皇が健康を回復されたのは薬子の持っていた薬学の知識による貢献もあったと考えられているようですね。毒をあおったのもその知識があったからとか。
> それにしてもこの頃は随分と争いごとが多かったんですね・・( ´゚д゚`)
そうですね。権力がまだ確定していなかった分、争いごとの種は尽きなかったようです。
オバrev 藤原氏同士で争うとは、藤原氏の権力に対する執念はすごいですねヮ(゚д゚)ォ!
そんな政治の流れとは関係ないですが・・・
疑問その1:藤原薬子は女性ですが、女性の名前に「子」という字が、この頃既に使われていたのでしょうか?
疑問その2:仲成は射殺されていますが、この頃の既に鉄砲があったんでしょうか、いや無いはずですから何によって射殺されたんでしょうか?
本題とはズレていますが、よろしくお願いしますm(^^)m
オバrevさんへ
黒田裕樹 > 藤原氏同士で争うとは、藤原氏の権力に対する執念はすごいですねヮ(゚д゚)ォ!
邪魔する者がいなくなれば、身内同士で争うようになる。権力争いの典型例でもありますね(@_@;)
> 疑問その1:藤原薬子は女性ですが、女性の名前に「子」という字が、この頃既に使われていたのでしょうか?
そうですね。今回の講座で紹介した藤原不比等の娘の宮子や光明子も「子」が使われていますし、昔は男女に関係なく「子」を使っていましたから。
> 疑問その2:仲成は射殺されていますが、この頃の既に鉄砲があったんでしょうか、いや無いはずですから何によって射殺されたんでしょうか?
「射殺」は飛び道具全体に対して使用されますから、この場合は「弓」ですね。
空海。
晴雨堂ミカエル 北大路欣也主演映画「空海」では、平城上皇をステレオタイプな精神薄弱者に描いていました。
薬子は色仕掛けで惑わす妖艶雌狐キャラ。
遷都に反対した既成仏教勢力を絡めての動乱に演出しているものの、大味な三時間超大作でした。
実のところ、平城帝や薬子はどんな人物でしょうね?
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 そういえばそんな映画がありましたね。
一部は事実に基づいているとはいえやはりフィクションですから、ステレオタイプな大味になってしまうのは致し方ないのかもしれません。
今回の講座では紹介しきれませんでしたが、薬子の父親の種継は長岡京への遷都を指揮しながら殺されています。この事実に関する複雑な感情が絡み合って、桓武天皇との仲が良くなかった平城天皇との男女関係が生まれていったのかもしれませんね。
お名前が薬子だけに仏教で言う所の
「変毒為薬」は出来なかったんですね(^^ゞ
それにしてもこの頃は随分と争いごとが多かったんですね・・( ´゚д゚`)
応援凸
> 「変毒為薬」は出来なかったんですね(^^ゞ
それはできなかったようですが、平城上皇が健康を回復されたのは薬子の持っていた薬学の知識による貢献もあったと考えられているようですね。毒をあおったのもその知識があったからとか。
> それにしてもこの頃は随分と争いごとが多かったんですね・・( ´゚д゚`)
そうですね。権力がまだ確定していなかった分、争いごとの種は尽きなかったようです。
そんな政治の流れとは関係ないですが・・・
疑問その1:藤原薬子は女性ですが、女性の名前に「子」という字が、この頃既に使われていたのでしょうか?
疑問その2:仲成は射殺されていますが、この頃の既に鉄砲があったんでしょうか、いや無いはずですから何によって射殺されたんでしょうか?
本題とはズレていますが、よろしくお願いしますm(^^)m
邪魔する者がいなくなれば、身内同士で争うようになる。権力争いの典型例でもありますね(@_@;)
> 疑問その1:藤原薬子は女性ですが、女性の名前に「子」という字が、この頃既に使われていたのでしょうか?
そうですね。今回の講座で紹介した藤原不比等の娘の宮子や光明子も「子」が使われていますし、昔は男女に関係なく「子」を使っていましたから。
> 疑問その2:仲成は射殺されていますが、この頃の既に鉄砲があったんでしょうか、いや無いはずですから何によって射殺されたんでしょうか?
「射殺」は飛び道具全体に対して使用されますから、この場合は「弓」ですね。
薬子は色仕掛けで惑わす妖艶雌狐キャラ。
遷都に反対した既成仏教勢力を絡めての動乱に演出しているものの、大味な三時間超大作でした。
実のところ、平城帝や薬子はどんな人物でしょうね?
一部は事実に基づいているとはいえやはりフィクションですから、ステレオタイプな大味になってしまうのは致し方ないのかもしれません。
今回の講座では紹介しきれませんでしたが、薬子の父親の種継は長岡京への遷都を指揮しながら殺されています。この事実に関する複雑な感情が絡み合って、桓武天皇との仲が良くなかった平城天皇との男女関係が生まれていったのかもしれませんね。