諸兄による政治に反発した藤原氏は、四兄弟の宇合の子の藤原広嗣(ふじわらのひろつぐ)が740年に北九州の大宰府(だざいふ)で大規模な反乱を起こしましたが鎮圧(ちんあつ)され、しばらくは政治の表舞台から遠ざかりました。
しかし、749年に聖武天皇の娘の孝謙天皇(こうけんてんのう)が即位されると、天皇の母親である光明皇太后(こうみょうこうたいごう)が四兄弟の武智麻呂の子である藤原仲麻呂を重用(ちょうよう)したことで、やがて仲麻呂は政治の実権を握るようになりました。
仲麻呂は755年に諸兄を失脚(しっきゃく)させ、諸兄の子の橘奈良麻呂(たちばなのならまろ)が乱を起こそうとすると事前に鎮圧しました。こうして自分に不満を持つ政敵(せいてき)を一掃(いっそう)することに成功した仲麻呂は、ますます自己の権力を高めていきました。
(※下記の映像において系図などを詳しく書いておりますので、是非ご覧下さい。)




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
晴雨堂ミカエル 仲麻麿は唐好みで有名ですね。テーブルに椅子の生活、ペルシアのグラスで酒や牛乳を飲んでいたとか。映画などで再現してほしいものです。
孝謙天皇と弓削道鏡の話も興味があります。世間では爛れた関係と見られていますが、道鏡はけっして日本のラスプーチンではなく、いたってプラトニック、皇室の権力を脅かす藤原氏に対抗するために道鏡を側近として重用したとの説を聞いたことがあります。
ここではどの説をとるか楽しみです。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、仲麻呂は唐好みで我が国の風習を何もかも中国風に変えました。その性急さと強引な外交姿勢が自滅への道を歩むことになります。
今回はあくまで「藤原氏」が中心ですので、道教と孝謙天皇についての関係には深く触れておりません。ちなみに私はかねてよりプラトニック説を採っており、2年以上前の通史において詳しく分析しております。
ぴーち こんにちは!
橘諸兄などというお名前は今回初めて伺いました(^_^;)
私の場合は歴史全般を通してそんな感じですので、申し訳なく存じます(苦笑)
それでも、特にこの頃に登場する人物は尚更
ですので、黒田さんの所でこれからも勉強させていただきたく存じます。m(_ _)m
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 お言葉ありがとうございます。
どうぞお気になさらずに、今後とも当講座で知識をお蓄え下さい。
ぴーちさんをはじめ、皆さんのお役に立てれば幸甚ですm(_ _)m
オバrev この時代は、藤原・反藤原の凄まじい権力欲と権力のドッジボール?で、ある意味面白い(^_^;)
一体何故これほど権力に固執したんでしょうか。天皇を中心に国がまとまるということにはならなかったんですかね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 > この時代は、藤原・反藤原の凄まじい権力欲と権力のドッジボール?で、ある意味面白い(^_^;)
仰るとおり、藤原氏と反藤原氏の壮絶な戦いですね(^^ゞ
> 一体何故これほど権力に固執したんでしょうか。天皇を中心に国がまとまるということにはならなかったんですかね。
藤原氏の権力がまだ固まらない一方で、天皇親政を行うまでの実力がなかったということでしょうか。ただ、この後になると少し事情が変わってくるようです。
記事を拝見しました。
晴雨堂ミカエル 道鏡が愛人ではなかった説、明快かつ説得力ある根拠を述べておられていましたね。
この時期はまだ黒田氏のブログに出入りしていなかったので未読でした。
私も全く同じ見解です。田沼意次と同様、不自然にでっちあげた中傷が何故か世間の定説と化している事に不満です。
長屋王や橘諸兄など、皇族がまだ権威に祭り上げられる以前の雄々しさを感じる時代ですね。
日本の政治は面白い。皇族から完全に実権を奪った藤原氏も権威に祭り上げられて下位の征夷大将軍が実権を握り、それもほどなく象徴となって更に下の執権や管領や老中が事実上のトップになってしまう。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、我が国はいつの間にか「権力の二重構造」が当然のようになっていますね。
「話し合い」を求めて独裁を嫌う一方で、権威を重要視する姿勢が今日まで続いているからかもしれません。
孝謙天皇と弓削道鏡の話も興味があります。世間では爛れた関係と見られていますが、道鏡はけっして日本のラスプーチンではなく、いたってプラトニック、皇室の権力を脅かす藤原氏に対抗するために道鏡を側近として重用したとの説を聞いたことがあります。
ここではどの説をとるか楽しみです。
今回はあくまで「藤原氏」が中心ですので、道教と孝謙天皇についての関係には深く触れておりません。ちなみに私はかねてよりプラトニック説を採っており、2年以上前の通史において詳しく分析しております。
橘諸兄などというお名前は今回初めて伺いました(^_^;)
私の場合は歴史全般を通してそんな感じですので、申し訳なく存じます(苦笑)
それでも、特にこの頃に登場する人物は尚更
ですので、黒田さんの所でこれからも勉強させていただきたく存じます。m(_ _)m
応援凸
どうぞお気になさらずに、今後とも当講座で知識をお蓄え下さい。
ぴーちさんをはじめ、皆さんのお役に立てれば幸甚ですm(_ _)m
一体何故これほど権力に固執したんでしょうか。天皇を中心に国がまとまるということにはならなかったんですかね。
仰るとおり、藤原氏と反藤原氏の壮絶な戦いですね(^^ゞ
> 一体何故これほど権力に固執したんでしょうか。天皇を中心に国がまとまるということにはならなかったんですかね。
藤原氏の権力がまだ固まらない一方で、天皇親政を行うまでの実力がなかったということでしょうか。ただ、この後になると少し事情が変わってくるようです。
この時期はまだ黒田氏のブログに出入りしていなかったので未読でした。
私も全く同じ見解です。田沼意次と同様、不自然にでっちあげた中傷が何故か世間の定説と化している事に不満です。
長屋王や橘諸兄など、皇族がまだ権威に祭り上げられる以前の雄々しさを感じる時代ですね。
日本の政治は面白い。皇族から完全に実権を奪った藤原氏も権威に祭り上げられて下位の征夷大将軍が実権を握り、それもほどなく象徴となって更に下の執権や管領や老中が事実上のトップになってしまう。
「話し合い」を求めて独裁を嫌う一方で、権威を重要視する姿勢が今日まで続いているからかもしれません。