659年に生まれた不比等は、幼(おさな)い頃に父である鎌足を亡くしましたが、成年後には着実に出世していきました。不比等は701年に大宝律令(たいほうりつりょう)、718年には養老律令(ようろうりつりょう)の編纂(へんさん)事業に携(たずさ)わり、朝廷からの厚い信任を受けました。
当時の朝廷は、707年に文武天皇(もんむてんのう)が崩御(ほうぎょ)されると、その後は文武天皇の母親で、天智天皇の娘でもある元明天皇(げんめいてんのう)と、元明天皇の娘で文武天皇の妹でもあり、皇室の血を引く元正天皇(げんしょうてんのう)の二人の女性天皇が相次(あいつ)いで即位されました。
しばらくの間女性天皇が続いたことは、結果として不比等の存在を朝廷内で大きくしました。さらに不比等は、娘の藤原宮子(ふじわらのみやこ)を文武天皇に嫁(とつ)がせると、二人の間に産まれた首皇子(おびとのみこ)には自分の娘で宮子の異母妹(いぼまい、母親のちがう妹のこと)にあたる藤原光明子(ふじわらのこうみょうし)をさらに嫁がせて、皇室と密接な関係を築きました。
こうして不比等は、自分の血を引く娘を皇室に嫁がせることで自らの地位を固めるという、かつての蘇我氏と同じ方法で政治の実権を握(にぎ)ることに成功したのです。
(※下記の映像において系図などを詳しく書いておりますので、是非ご覧下さい。)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
蘇我氏で成功を収めた方法を自分も実行することで実権を握ったわけですか。
必ずしも成功例を真似たからといって、自分も同じように成功するとは限らないのが世の常でもありますが、それが成功したという事は、この方法が一番裏切られ辛い方法であるからなのでしょうし、不比等その人の人柄にも関係する事だったのでしょうね・・・。
15万ヒット、おめでとうございます!!
益々のご発展をお祈りしております(*^_^*)
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 不比等は蘇我氏の政策で悪いところ(皇室を差し置いて自分が頂点に立とうとしたこと)と良いところ(皇室を立てて自分は外戚として政治の実権を握ること)をよく理解していたと思われます。
もっとも、不比等自身に実力がなければ、やりたくてもできなかったでしょうし、その意味においても不比等の有能さがうかがえます。
> 15万ヒット、おめでとうございます!!
> 益々のご発展をお祈りしております(*^_^*)
有難うございます。今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m
なおまゆ 不比等はもっと評価されていい政治家ですよね。
藤原道長ばかりクローズアップされますけど、土台を作るのは大変なことです。
歴史には埋もれている人物がたくさんいて、先生のブログがヒントになって調べたりできて一層歴史が楽しくなりました。
私の娘も先生のブログで勉強させようと思っています。
どうも学校の授業はおもしろくないようで・・・。これから、よろしくお願いします。
なおまゆさんへ
黒田裕樹 > 不比等はもっと評価されていい政治家ですよね。
> 藤原道長ばかりクローズアップされますけど、土台を作るのは大変なことです。
私もそう思います。藤原氏繁栄の基礎をつくった不比等はもっと評価されるべきですが、この後お話しする奈良時代の政治のややこしさが不比等の存在を霞(かす)ませているかもしれませんね。
> 歴史には埋もれている人物がたくさんいて、先生のブログがヒントになって調べたりできて一層歴史が楽しくなりました。
> 私の娘も先生のブログで勉強させようと思っています。
> どうも学校の授業はおもしろくないようで・・・。これから、よろしくお願いします。
光栄とともに責任重大ですね(^^ゞ
こちらこそよろしくお願いしますm(_ _)m
オバrev まさに藤原氏の繁栄は不比等によって決定づけられた、と言っても過言ではないでしょうね。
女性天皇が続いたという幸運もあったでしょうが、地位や名誉や権力欲の強い有力者が並み居る中で、どうやってダントツの力を得たのか、その背景が興味ありますね。
オバrevさんへ
黒田裕樹 私もそう思います。
女性天皇が続いたのは、皇位継承者である首皇子がまだ幼かったということもあり、中継ぎとして即位されたからと考えられますが、その間に不比等が外戚として活躍の場が与えられ、律令の編纂などで結果を出したことがその後の繁栄につながったのでしょうね。
蘇我氏で成功を収めた方法を自分も実行することで実権を握ったわけですか。
必ずしも成功例を真似たからといって、自分も同じように成功するとは限らないのが世の常でもありますが、それが成功したという事は、この方法が一番裏切られ辛い方法であるからなのでしょうし、不比等その人の人柄にも関係する事だったのでしょうね・・・。
15万ヒット、おめでとうございます!!
益々のご発展をお祈りしております(*^_^*)
応援凸
もっとも、不比等自身に実力がなければ、やりたくてもできなかったでしょうし、その意味においても不比等の有能さがうかがえます。
> 15万ヒット、おめでとうございます!!
> 益々のご発展をお祈りしております(*^_^*)
有難うございます。今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m
藤原道長ばかりクローズアップされますけど、土台を作るのは大変なことです。
歴史には埋もれている人物がたくさんいて、先生のブログがヒントになって調べたりできて一層歴史が楽しくなりました。
私の娘も先生のブログで勉強させようと思っています。
どうも学校の授業はおもしろくないようで・・・。これから、よろしくお願いします。
> 藤原道長ばかりクローズアップされますけど、土台を作るのは大変なことです。
私もそう思います。藤原氏繁栄の基礎をつくった不比等はもっと評価されるべきですが、この後お話しする奈良時代の政治のややこしさが不比等の存在を霞(かす)ませているかもしれませんね。
> 歴史には埋もれている人物がたくさんいて、先生のブログがヒントになって調べたりできて一層歴史が楽しくなりました。
> 私の娘も先生のブログで勉強させようと思っています。
> どうも学校の授業はおもしろくないようで・・・。これから、よろしくお願いします。
光栄とともに責任重大ですね(^^ゞ
こちらこそよろしくお願いしますm(_ _)m
女性天皇が続いたという幸運もあったでしょうが、地位や名誉や権力欲の強い有力者が並み居る中で、どうやってダントツの力を得たのか、その背景が興味ありますね。
女性天皇が続いたのは、皇位継承者である首皇子がまだ幼かったということもあり、中継ぎとして即位されたからと考えられますが、その間に不比等が外戚として活躍の場が与えられ、律令の編纂などで結果を出したことがその後の繁栄につながったのでしょうね。