鎌足はその後まもなく死去しましたが、鎌足によるこれらの功績が、結果として我が国の歴史に名を残す藤原氏の礎(いしずえ)となったのです。
とはいうものの、鎌足の歴史上の実績だけで藤原氏の存在が大きくなったわけではありません。藤原氏が本当の意味で我が国の歴史に欠かせない重要な地位を占(し)めるようになったのは、むしろ鎌足以下の子孫の生(い)きざまにその理由がありました。
その大きなきっかけになった人物こそが、鎌足の子の藤原不比等だったのです。




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
こうして伺っていると、自分の歴史に関しての認識の甘さにほとほと嫌気が差して参りますが(^^ゞ
鎌足自身の功績よりも、その息子の功績の方が藤原氏の繁栄に大きく貢献していたというのは、初耳です(゚д゚)!
またこれからの展開を楽しみにしております^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 お言葉、こちらこそ恐縮ですm(_ _)m
パイオニアとしての鎌足の功績は大きいですが、不比等がさらに実績を高めたという一面も大きいですね。
信長や秀吉がそうであったように、一代だけではなかなか根付かない、ということでしょうか。
家康の場合は、秀忠や家光が政治を行いやすいようにシステムを構築していましたから別格ですね。
こうして伺っていると、自分の歴史に関しての認識の甘さにほとほと嫌気が差して参りますが(^^ゞ
鎌足自身の功績よりも、その息子の功績の方が藤原氏の繁栄に大きく貢献していたというのは、初耳です(゚д゚)!
またこれからの展開を楽しみにしております^^
応援凸
パイオニアとしての鎌足の功績は大きいですが、不比等がさらに実績を高めたという一面も大きいですね。
信長や秀吉がそうであったように、一代だけではなかなか根付かない、ということでしょうか。
家康の場合は、秀忠や家光が政治を行いやすいようにシステムを構築していましたから別格ですね。