この出来事はフェートン号事件と呼ばれていますが、この後もイギリス船は何度も我が国の近海に出没(しゅつぼつ)したため、業(ごう)を煮(に)やした幕府は1825年に異国船打払令(いこくせんうちはらいれい、別名を無二念打払令=むにねんうちはらいれい)を出し、中国の清(しん)とオランダ以外のすべての外国船を撃退(げきたい)するように命じました。
確かにフェートン号の乱暴狼藉は許せないものがありましたが、だからと言って問答無用(もんどうむよう)で外国船を打ち払(はら)うというのは余りにも極端(きょくたん)な対応と言わざるを得ません。結局このような幕府の場当たり的な対応が、さらなる悲劇(ひげき)をもたらしてしまうのでした。
なお、フェートン号事件の際の手抜(てぬ)かりを幕府に非難された肥前藩ですが、その後は他藩に先駆(さきが)けて近代化に全力を挙(あ)げ、結果として幕末から明治維新(めいじいしん)にかけて活躍(かつやく)することになるのです。




いつも有難うございます。
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晴雨堂ミカエル 欧米列強がアジアへの圧力を強めた大きな原因は、やはり市民革命と産業革命でしょう。この2つ、教科書で良いことにしか教えないが、欧米の世界侵略を促進させた原因です。
市民革命によって国民国家となり、領主様の傭兵から国民の軍隊になった。
産業革命によって物資を大量生産でき、大量の物品を売り付ける必要がでた。
人とモノを大量に動員できる政治システムと経済、それを支えるために搾取するための植民地拡大。
このつながりを文部科学省は教えない。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、二つの革命によって世界の図式が大きく変わりました。
その余波が我が国にもやってきて、幕末の混乱を迎えることになります。
日本史や世界史、あるいは政経の「すみわけ」にでもなっているのでしょうか、そういう流れを教えていない現行の教育に疑問を感じる一つではありますね。
市民革命によって国民国家となり、領主様の傭兵から国民の軍隊になった。
産業革命によって物資を大量生産でき、大量の物品を売り付ける必要がでた。
人とモノを大量に動員できる政治システムと経済、それを支えるために搾取するための植民地拡大。
このつながりを文部科学省は教えない。
その余波が我が国にもやってきて、幕末の混乱を迎えることになります。
日本史や世界史、あるいは政経の「すみわけ」にでもなっているのでしょうか、そういう流れを教えていない現行の教育に疑問を感じる一つではありますね。