八戸(はちのへ)の医者であった安藤昌益(あんどうしょうえき)は自然真営道(しぜんしんえいどう)を著して、すべての人間が農耕(のうこう)で生計(せいけい)を立てる「自然の世(よ)」こそが理想であり、農作業とは無縁(むえん)の武士が支配する社会や身分社会を否定しました。
昌益の存在が世に広まったのは明治時代になってからですが、その思想は共産主義や無政府主義の考えにも関連するとして幅広(はばひろ)い支持を受けました。
この他、海保青陵(かいほせいりょう)は稽古談(けいこだん)を著して武士の商業軽視を批判し、藩で専売制を行うなどの重商主義の必要性を説きました。本多利明(ほんだとしあき)は西洋諸国との貿易の必要性を西域物語(せいいきものがたり)で説き、田沼意次が蝦夷地(えどち、現在の北海道)を調査した際には弟子の最上徳内(もがみとくない)を推薦(すいせん)しています。
また、佐藤信淵(さとうのぶひろ)は経済要録(けいざいようろく)を著して、積極的な海外進出による経済の振興(しんこう)を主張しました。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんにちは!
そうですよね。
江戸時代は300年続きました。。
と歴史では一口で括られたりしますが、
その300年もの長い間に
封建的な社会の秩序がこれだけの期間保たれたということはそれぞれの代で、並々ならない苦労があったに違い有りませんよね。
そういう影の部分をこうして知る事が出来、ありがたく存じております^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 お言葉有難うございます。
仰るとおり、平和の維持には大変な労力を必要としました。
幕府成立から100年以上が経つと徳川家の政権が当たり前になってしまった印象がありますが、それでも体制を維持するために数多くの政治家が知恵を絞っています(成功か失敗かは別にして)。
これからしばらくは幕府崩壊の「もう一つの理由」が中心になりますね。
わろ 江戸時代って、意外と多様な主義主張を発表できたのですね。
江戸時代こそ共産主義に近い気がするのですが、そんな中でも共産主義を唱えるとは、なんだか共産主義の理想には恐れ入ります。
ところで、江戸時代って何主義に当たるのでしょうか?
体制は封建だと思うのですが、経済的には、税が米なので謎ですw
わろさんへ
黒田裕樹 江戸時代は封建社会ですから、幕府の批判は許されなかったものの、それ以外であれば結構主義主張が許されていたと思います。
少なくとも共産主義にありがちな「言論の自由が一切認められない暗黒社会」ではないですね。
江戸時代は封建主義で、経済的には一時期を除いて重農主義ですね。また鎖国の状態が排他主義を生んで、それが幕末の混乱を引き起こすことになります。
オバrev あ~、やってもうた( ̄0 ̄)
またや、これで3回目?4回目?
ホンマに学習能力あれへんのちゃう??
黒田先生、すまんです。
またまた名無しの権兵衛でコメントしてしまいました(m_m)
しかし田沼意次の政策は、現在の経済政策にもっとしっかり検証して生かされるべきですね。私の目には、財務省が吉宗や定信に見えてきました(^_^;
ところで倒幕後の明治維新の経済政策は、どっち派なんでしょうか。世の中が大きく変わったときの政策ってのは、倹約ではダメなような気がしますが?
オバrevさんへ
黒田裕樹 やっぱりそうでしたか(^^ゞ
ホストから大体は想像できたのですが、やっぱり万が一ということがありますからね。
仰るとおり、今こそ田沼意次の積極財政に学ぶべきです。不景気に増税したら国が傾くということは、江戸の三大改悪、じゃなかった改革で証明済みのはずですが…。
明治維新は名付けるとすれば「超積極的でなんでもありの経済政策」ですね。近代化一筋である意味ハチャメチャでしたから。よくぞ近代化をあんな短期間で成し遂げたものです。もっとも、失ったものも数多いですが…。
西洋のユートピアに通ずる。
晴雨堂ミカエル 安藤昌益の思想は西洋の基督教信徒たちが思い描く理想郷と同じと言っても良いですね。古今東西、人間が考える理想郷のイメージは共通する訳ですな。
田沼の政治を見直す動きが現代政治の現場で無い原因の1つに、やはら2百年以上に渡って刷り込まれた田沼悪と倹約を善とする固定観念ですね。
晴雨堂ミカエルさんへ
黒田裕樹 安藤昌益の考えは仰るとおりですね。彼が発掘された明治時代の頃は共産主義や無政府主義に流行の兆しが見えていた頃ですから、いわば広告塔のようなイメージで広がっていったようです。
一度貼られたレッテルの挽回は至難の業ですね。現代においてもマスコミによる一方的なイメージに苦しんでいる人々が多いはずです。
そうですよね。
江戸時代は300年続きました。。
と歴史では一口で括られたりしますが、
その300年もの長い間に
封建的な社会の秩序がこれだけの期間保たれたということはそれぞれの代で、並々ならない苦労があったに違い有りませんよね。
そういう影の部分をこうして知る事が出来、ありがたく存じております^^
応援凸
仰るとおり、平和の維持には大変な労力を必要としました。
幕府成立から100年以上が経つと徳川家の政権が当たり前になってしまった印象がありますが、それでも体制を維持するために数多くの政治家が知恵を絞っています(成功か失敗かは別にして)。
これからしばらくは幕府崩壊の「もう一つの理由」が中心になりますね。
江戸時代こそ共産主義に近い気がするのですが、そんな中でも共産主義を唱えるとは、なんだか共産主義の理想には恐れ入ります。
ところで、江戸時代って何主義に当たるのでしょうか?
体制は封建だと思うのですが、経済的には、税が米なので謎ですw
少なくとも共産主義にありがちな「言論の自由が一切認められない暗黒社会」ではないですね。
江戸時代は封建主義で、経済的には一時期を除いて重農主義ですね。また鎖国の状態が排他主義を生んで、それが幕末の混乱を引き起こすことになります。
またや、これで3回目?4回目?
ホンマに学習能力あれへんのちゃう??
黒田先生、すまんです。
またまた名無しの権兵衛でコメントしてしまいました(m_m)
しかし田沼意次の政策は、現在の経済政策にもっとしっかり検証して生かされるべきですね。私の目には、財務省が吉宗や定信に見えてきました(^_^;
ところで倒幕後の明治維新の経済政策は、どっち派なんでしょうか。世の中が大きく変わったときの政策ってのは、倹約ではダメなような気がしますが?
ホストから大体は想像できたのですが、やっぱり万が一ということがありますからね。
仰るとおり、今こそ田沼意次の積極財政に学ぶべきです。不景気に増税したら国が傾くということは、江戸の三大改悪、じゃなかった改革で証明済みのはずですが…。
明治維新は名付けるとすれば「超積極的でなんでもありの経済政策」ですね。近代化一筋である意味ハチャメチャでしたから。よくぞ近代化をあんな短期間で成し遂げたものです。もっとも、失ったものも数多いですが…。
田沼の政治を見直す動きが現代政治の現場で無い原因の1つに、やはら2百年以上に渡って刷り込まれた田沼悪と倹約を善とする固定観念ですね。
一度貼られたレッテルの挽回は至難の業ですね。現代においてもマスコミによる一方的なイメージに苦しんでいる人々が多いはずです。