この事件はシーボルト事件と呼ばれており、前述した天文方の高橋景保が事件に関与したとして捕まり、後に獄死(ごくし)しました。なお、シーボルトは我が国が開国後に再来日しています。
大坂では幕末に緒方洪庵(おがたこうあん)が適塾(てきじゅく、正式には適々斎塾=てきてきさいじゅく)を開き、福沢諭吉(ふくざわゆきち)・橋本左内(はしもとさない)・大村益次郎(おおむらますじろう)らの多くの人材を育てました。
こうした洋学の研究が盛んになる一方で、洋学を通じて世界情勢などの様々な認識を得た蘭学者によって幕政を批判する声が上がったことに対して、幕府は後述する蛮社の獄(ばんしゃのごく)などで厳しく統制しました。このこともあり、洋学は主として医学や兵学、あるいは地理学などの実学(じつがく)として発達しました。
幕末に海防論(かんぼうろん)が叫(さけ)ばれたころには、伊豆(いず)の代官の江川太郎左衛門(えがわたろうざえもん、別名を江川坦庵=えがわたんあん)が大砲を鋳造(ちゅうぞう)するための反射炉(はんしゃろ)を設けました。また、開国論者の佐久間象山(さくましょうざん)は坦庵に学んで江戸で兵学を教え、吉田松陰(よしだしょういん)や勝海舟(かつかいしゅう)などの人材を育てています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんばんは!
今は簡単に地図など誰もが閲覧出来、
入手出来る時代ですが、
この頃は国外追放などという重い処分を
受ける羽目になってしまったのですね(^^ゞ
やはり外国に日本の地形などを容易に
知られてしまうと
戦などになったときには不利になるという
考えからでしょうか・
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、情報の少ない当時では日本地図は最大級の国家機密でした。
国外追放や関係者の処分は致し方ないといえますね。
- 松下村塾は有名ですが、適塾からも幕末、明治維新にかけての重要な人材を輩出しているんですね。
あの手塚治虫の祖父も塾生だったらしいし、手塚治虫自身は適塾の流れを引く大阪大学医学部卒という縁がありますね。
それと福沢諭吉が適塾出身だったとは知りませんでした。慶応大学を興した人物ですが、大阪出身だったんですね。
学生時代を大阪で過ごした私としては、江戸幕府成立以来、何となく1番江戸2番大阪、大阪は商人の町というイメージだったんですが、実は大阪は商人だけでなく日本を動かす偉大な人材を輩出していたというのは大変痛快でした\(^O^)/
名無し(?)さんへ
黒田裕樹 福沢諭吉は幼い頃に中津藩大坂屋敷に住んでいたことがあるんですよ。ちなみに生誕地は現在「ほたるまち」として朝日放送本社などがあります。
大坂は天下の台所ですが、仰るとおり幕末は「人材の台所」でしたね(^^♪
日本地図
ろっぽん 18世紀に室蘭にロシアが北海道の測量に上陸してますね。いくら機密扱いにしようともドンドン漏れるという頭隠して尻隠さずの状態が日本の現実ですね
なんかこのごろ民話「うそ吹き太郎」を書いて
つくずく日本人って稚拙で排他的な民族のような気がする。
●、個性を認めない社会で違う人間をパージする社会である
ろっぽんさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、秘密にしていても勝手に測量されることが後を絶ちませんでした。
それだけ他国の追及も多かったということですが、いずれは明らかになるとしても、自分から国家機密をオープンにするという亡国の行為は、どんな国でもやはり処罰される対象となるでしょう。
亡国
ろっぽん 亡国とはその時々の組する組織によって定義する言葉であって歴史家は安易につかうべきではないですよ!開国後、再度訪問してるということは
その当時の保守的な役人の稚拙な判断ですよ!
ろっぽんさんへ その2
黒田裕樹 了解いたしました。
最初の事件の場合、シーボルトのような外国人に適用する法律がなく、かといって危害を加えようものなら国際問題に発展する可能性もありますから、国外追放以外に手段がなかったと思われます。
なお、再来日できたのは開国後にオランダと我が国が正式な条約を締結した際にシーボルトに対する追放の身分が解除されたからです。開国で何もかも変わってしまったんですね。
「稚拙な判断」かどうかは、当時の役人が「国家機密の漏えい」にどれだけ神経をとがらせていたかどうかにかかっていると思います。
適塾
青田です。 黒田先生
青田です。
恥ずかしながら、私は、関西人でありながら
まだ、適塾には、行ったことがありませんでした。
歴史好きで、関西人としては、情けない話ですが、
それほど、凄いとは知りませんでした。
この適塾は、有能な人材が輩出されましたが、
後で知りましたが
〇 大阪大学医学部の前身。
〇 灯りの消えていいることは、なかった。
絶えず、灯りがついていた。
〇勉強のしすぎで、死人が出た。
おそらく、私が、その時代に生きていても、松下村塾には、入れても、適塾では、ドロップアウトしそうです。
青田さんへ
黒田裕樹 確かにすごいですよね。
福沢諭吉や大村益次郎を輩出しただけのことはあります。
今は簡単に地図など誰もが閲覧出来、
入手出来る時代ですが、
この頃は国外追放などという重い処分を
受ける羽目になってしまったのですね(^^ゞ
やはり外国に日本の地形などを容易に
知られてしまうと
戦などになったときには不利になるという
考えからでしょうか・
応援凸
国外追放や関係者の処分は致し方ないといえますね。
あの手塚治虫の祖父も塾生だったらしいし、手塚治虫自身は適塾の流れを引く大阪大学医学部卒という縁がありますね。
それと福沢諭吉が適塾出身だったとは知りませんでした。慶応大学を興した人物ですが、大阪出身だったんですね。
学生時代を大阪で過ごした私としては、江戸幕府成立以来、何となく1番江戸2番大阪、大阪は商人の町というイメージだったんですが、実は大阪は商人だけでなく日本を動かす偉大な人材を輩出していたというのは大変痛快でした\(^O^)/
大坂は天下の台所ですが、仰るとおり幕末は「人材の台所」でしたね(^^♪
なんかこのごろ民話「うそ吹き太郎」を書いて
つくずく日本人って稚拙で排他的な民族のような気がする。
●、個性を認めない社会で違う人間をパージする社会である
それだけ他国の追及も多かったということですが、いずれは明らかになるとしても、自分から国家機密をオープンにするという亡国の行為は、どんな国でもやはり処罰される対象となるでしょう。
その当時の保守的な役人の稚拙な判断ですよ!
最初の事件の場合、シーボルトのような外国人に適用する法律がなく、かといって危害を加えようものなら国際問題に発展する可能性もありますから、国外追放以外に手段がなかったと思われます。
なお、再来日できたのは開国後にオランダと我が国が正式な条約を締結した際にシーボルトに対する追放の身分が解除されたからです。開国で何もかも変わってしまったんですね。
「稚拙な判断」かどうかは、当時の役人が「国家機密の漏えい」にどれだけ神経をとがらせていたかどうかにかかっていると思います。
青田です。
恥ずかしながら、私は、関西人でありながら
まだ、適塾には、行ったことがありませんでした。
歴史好きで、関西人としては、情けない話ですが、
それほど、凄いとは知りませんでした。
この適塾は、有能な人材が輩出されましたが、
後で知りましたが
〇 大阪大学医学部の前身。
〇 灯りの消えていいることは、なかった。
絶えず、灯りがついていた。
〇勉強のしすぎで、死人が出た。
おそらく、私が、その時代に生きていても、松下村塾には、入れても、適塾では、ドロップアウトしそうです。
福沢諭吉や大村益次郎を輩出しただけのことはあります。