我が国では西洋の学術や知識が当時ヨーロッパで唯一(ゆいいつ)貿易を行っていたオランダから伝えられたこともあり、吉宗が青木昆陽(あおきこんよう)や野呂元丈(のろげんじょう)にオランダ語を学ばせたので、洋学は蘭学(らんがく)として始まりました。
田沼時代の頃には前野良沢(まえのりょうたく)や杉田玄白(すぎたげんぱく)らによって西洋医学の解剖書(かいぼうしょ)であるターヘル=アナトミアが翻訳(ほんやく)され、1774年に解体新書(かいたいしんしょ)として完成しました。
蘭学はその後も大槻玄沢(おおつきげんたく)や宇田川玄随(うだがわげんずい)らによって発展し、玄沢の門人の稲村三伯(いなむらさんぱく)は蘭日辞書(らんにちじしょ)であるハルマ和解(わげ)を刊行しました。また平賀源内は物理学の研究を進めたほか、静電気発生機であるエレキテルを復元しています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
トラックバック(0) |
ぴーち こんにちは!
杉田玄白、平賀源内と今の日本の医療や科学の
大きな発展の大元となる功績を残した方が活躍されていた時代でもあるんですね^^
活気ある時代でもあったワケですね!
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 仰るとおり、活気ある時代ですね。
江戸時代がすべて暗黒の歴史であるとする史観では語ることのできない素晴らしい時代だったと思います。
これも田沼政権の功績です。
杉田玄白、平賀源内と今の日本の医療や科学の
大きな発展の大元となる功績を残した方が活躍されていた時代でもあるんですね^^
活気ある時代でもあったワケですね!
応援凸
江戸時代がすべて暗黒の歴史であるとする史観では語ることのできない素晴らしい時代だったと思います。
これも田沼政権の功績です。