円山派からは呉春(ごしゅん、別名を松村月溪=まつむらげっけい)が四条派(しじょうは)を興(おこ)し、柳鷺群禽図屏風(りゅうろぐんきんずびょうぶ)などの作品を残しました。
中国の明(みん)や清(しん)の時代に描かれた文人画(ぶんじんが、専門の画家ではない文人や学者が描いた絵のこと)は我が国でも漢学者を中心に広まり、18世紀後半には池大雅(いけのたいが)と、俳諧師(はいかいし)でもあった与謝蕪村(よさぶそん)が十便十宜図(じゅうべんじゅうぎず)を合作(がっさく)しました。
文人画はその後、豊後(ぶんご、現在の大分県)の田能村竹田(たのむらちくでん)や江戸の谷文晁(たにぶんちょう)・渡辺崋山(わたなべかざん)らに受け継がれています。渡辺崋山は蛮社の獄(ばんしゃのごく)で弾圧された人物としても有名ですね(蛮社の獄についてはいずれ改めて紹介します)。
徳川吉宗による漢訳洋書(かんやくようしょ)の輸入緩和(かんわ)によって蘭学(らんがく)が広まったことは、西洋画の技法を我が国にもたらすとともに、日本人による油絵の作品を生み出しました。西洋婦人図(せいようふじんず)を描いた平賀源内(ひらがげんない)や司馬江漢(しばこうかん)・亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)らが有名です。なお、司馬江漢は我が国で初めて銅版画(どうはんが)を制作しています。
(※下線を引いた事例については、リンク先もご参照下さい)




いつも有難うございます。
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ぴーち こんにちは!
油絵はこの頃に日本にもたらされたのですね。
もう少し歴史が浅いと思っておりましたが、
案外、古くからあるものなんですね^^
応援凸
ぴーちさんへ
黒田裕樹 我が国の油絵の歴史は信長の時代から始まりますが、カトリックの禁止で一度は途絶えました。
その後、吉宗の漢訳洋書の輸入緩和で再び広まったようですね。
吉宗の政治の「善」の部分でもあります。
油絵はこの頃に日本にもたらされたのですね。
もう少し歴史が浅いと思っておりましたが、
案外、古くからあるものなんですね^^
応援凸
その後、吉宗の漢訳洋書の輸入緩和で再び広まったようですね。
吉宗の政治の「善」の部分でもあります。